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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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吉倉→八木田散歩⑧

 マホロンの遺跡検索をすると、八木田地区の西道路を挟んだ西側の風景の中に、無調査の「下鎌遺跡」とされる遺跡の広い範囲が表示される。この範囲を、福島市関係の資料や半沢氏の歴史地図では調査歴のある「鎧塚遺跡」と紹介される範囲とほぼ重なっている。
 半沢氏のメモにあるように、吉井田の地域は、明記されているいないにかかわらず、どこを掘っても同様な遺跡群という状況なのだろう。この範囲は、その中でまだ開発が進んでいない範囲ということなのだろうか。
 この範囲を、県では「下鎌」という地域の延長線上に捉えているのに対し、市は「鎧塚」という地域の延長線上に捉えているという差でしかないのだろうと思う。「ぐるっと吉井田」では、福島市関係の資料に基づいた「鎧塚遺跡」としての紹介になっている。

 まずは、半沢氏の「歴史地図」や「ぐるっと吉井田」で紹介される地点を探して歩き回ることで、だだっ広いとしか感じられていないこの広い耕作地の特徴を感じることにした。
a0087378_18252928.jpg ところが、地形的な特色は数日歩くと何となく感じられたと思えてきたのだが、三等三角点(83.2m)と三山碑はなかなか姿を現さなかった。なかなか見つからなくて、見つけだすのに5.6日かかったかな。
 どうでもいいことだが、三等三角点脇に建っているべき国土地理院の「大切にしましょう三角点」の標識は倒れていた。

 これらを探して見つけることで、マホロンの遺跡検索でかかる遺跡の呼称である「下鎌」という地域を感じることができるはずなのだ。
 というのは、この「三等三角点」は、吉倉字山ノ神なのだが、この位置が「西道路の西側仁井田字下鎌との境界近くの畑にあります」と紹介されているのだ。
 そして、この近くにプロットされる「三山碑」の建つ位置を確認すれば、そこが、仁井田字下鎌であり、この二つの地点の間に「吉倉」と「仁井田」の字界線が走るという関係性ということになるはずなのだ。
by shingen1948 | 2013-11-07 18:28 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)