地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28

吉倉→八木田散歩④

a0087378_663767.jpg 現況の榎内地域は「小字館の内」をも含んでいるので、道路元標が建つ中部榎内東南隅は、一本南の道筋になる。しかし、旧八木田村の道路元標が建つ時代の中部榎内東南隅は、その「小字館の内」と「小字榎内」の字界を走る道筋ということになるので、この位置だと思う。

 小字を確認していたのは、道路元標の位置を確認するためだったので、これで目的は達成したのだが、関連しそうな小字が近くにみえる。「道上」と「道下」の小字だ。
 当然、道筋があって、その上と下という事なので、その道筋が走るのはその字界のはずだと思う。その字界は、北東方向に延びている。地図で確認すると、現況ではこの北東へ延びる道筋自体は消えている。地図上に、旧八木田村の道路元標が建つ位置から、北東に線を延ばしてみると、おおよそ八木田橋の方向になる。
a0087378_6103273.jpg その道筋の延長線上を眺めてみると、その続きと思われる道筋がみえる。その道筋の痕跡らしきものと思えるのが、この八木田第二集会所へ続く道筋だ。
 周辺の小字を確認すると「小字町道下」がみえる。
 小字「道上」と「道下」、小字「上八木田」などの用法から、上・下の法則性を推理すれば、上が西、下が東の方角らしい。ならば、「小字町道下」は、この北東に進む道筋の東側の位置になるのだろうと思う。「町道」の「町」は、「ふくしま」で、ふくしま道の東側が、「小字町道下」だと思うのだがどうだろう。
 少なくとも小字に「道」として残る道筋は、「小字館の内」と「小字榎内」の字界を走り、八木田村の道路元標が建っていた位置から北東へ進む道筋ということになる。

 ということは、吉倉散歩の時点では、吉倉散歩から続く「ふくしま道」は、微温湯街道の旧道につながると思っていたのだが、そうではないらしいということだ。
 その道筋が街道と呼べるほどの道筋かどうかは知らないが、旧八木田村は、その「ふくしま道」の道筋に沿った家並みの村だったという事になるのかな。

 拘ったついでに、「榎内」・「舘の内」・「伊賀内」など、その「内」は、アバウトな範囲を著すのだろうと思うが、そうすると気になるのが「舘」・「榎」・「伊賀」という地名かな。
 そのうちの「榎」だが、高木なので、目印になったり木陰で休めたりすることで、1里塚として榎を植えることがあったという情報がある。また、霊木として信仰の対象となることもあるとも。その材は器具用・薪炭用に使われたのだとか。
 これらの情報を頭において、「ふくしま道」の道筋を「ふくしま」側から眺めれば、小字「道上」と「道下」の道筋辺りは低地であり、「榎内」が河岸段丘の高まりになっている。そこに榎があったかどうかは知らないが、河岸段丘の高まりそれ自体が目印になっていたとみてもおかしくはなさそうにも思う。
by shingen1948 | 2013-10-29 06:12 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)