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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」~ 弟41話「覚馬の娘」

 次回「襄と行く会津」では、襄夫婦とともに、今話の「覚馬の娘」であるみねさんと伊勢氏の新婚夫婦も連れ立って会津へやって来る事になるようだ。
 今話の覚馬氏は、明治10年(1877年)に解雇された後の公権力に対抗する民主主義の構図の中で話が進行している。
 前話では、明治12(1879)年に第1回京都府会が開設されて、覚馬氏は初代の議長に選出される辺りが描かれた。まだ議会制度が十分に浸透していなかった時代、覚馬氏は厳しい姿勢で議会に臨むことで、議会のあるべき姿を示し、近代民主主義の道を教示する。
 そして、今話では、明治13年(1880年)知事の槇村が府会の権限を無視し、地方税追徴を府会にはかることなく布達することにかかわる出来事が描かれる。
 無視された府会が、知事の横暴な越権を責めて内務卿に伺書を提出して対抗するのだが、したたかな槇村氏が、形だけ府会を通し、原案どおり可決執行する。
 ドラマでは、覚馬氏の画策で槇村氏を追い詰める描き方だが、議会としては、覚馬氏の事実上の敗北で、議長と議員職を辞するという結末のようだ。確かに、槇村もまた、一連の横暴な越権行為が世論の反感を買い、その責任をとるかたちで知事を退任する事にはなるようだ。

 今話では、公権力に対抗する民主主義の構図での覚馬氏なのだが、明治10年(1877年)の解雇前は、京都の近代化の発展に多彩でエネルギッシュな活動の展開で貢献している。この時の対立軸の構図は、東京遷都による京都府の産業文化の衰微化を阻止する対東京の近代化の構図だったのだと思う。
 更には、覚馬氏は、議会から退いた後も、京都博覧会の継続開催、琵琶湖疏水事業や京都商工会議所の設立に係わるなど、京都の発展への貢献という点では継続した生涯になっているということのようだ。

 福島の地で見ていると、ここが特色的なのだと思う。
 福島県の場合、公権力に対抗する民主主義の構図の中で、福島県の近代化はそのタイツ軸である公権力側の仕事だったというのが一般的な捉えになっているように思う。ここが、違いでもあり、福島の不幸でもあるようにも思うのだが、その違いの要素を探れば、京都には衰退に伴う余剰の富があったということではなかったかと思えてくる。これを、どう再構築するかという絡みで覚馬氏は生かされたのではないのかなと思うのだ。 この時の槇村氏の持ち味は、その運用の巧みさと推進力だったと見えるが、どうだろうか。

 ドラマの概要については、エキサイト「大河ドラマ 八重の桜」のページから、弟41話「覚馬の娘」の粗筋をお借りする。
 http://tv.excite.co.jp/detail/nhk_taiga52/story_41.html
 「覚馬の娘」
 板垣退助(加藤雅也)たちによる自由民権運動が勢いを増す中、覚馬(西島秀俊)たち京都府議会も槇村(髙嶋政宏)の横暴な府政に、新聞を使った世論による攻撃を仕掛けていた。そんなある日、同志社を卒業して今治で伝道に励む伊勢時雄(黄川田将也)は、かねてから心を通わせていた覚馬の娘・みね(三根梓)に突然、求婚。覚馬はそれを許す。
母・うら(長谷川京子)のためにも、婿を取って山本家を継がねばと思っていたみねは、覚馬に激怒。八重(綾瀬はるか)は、みねにうらの気持ちを推し量りながら言葉をかける。
 その後、覚馬と和解したみねは、時雄と共に新たな人生を歩んでいく決意をする。
by shingen1948 | 2013-10-19 17:09 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)