地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28

吉倉→八木田散歩

 八木田附近は、先に2度ほど散策した事がある。この時には、目的的であっだ。
 最初は、双体道祖神を求めての散策だった。
 双体道祖神は、広い視野で見た時には、方木田の道祖神神社が北限と紹介することが多い。しかし、半沢氏の「歴史地図」では、この道祖神神社の他に、八木田神明神社、久盛院にもあるようにプロットされている。
 その八木田神明神社を訪ねて整理したのが、「双体道祖神③」
 http://kazenoshin.exblog.jp/12188113/
 次が、八木田旧橋を探しての散策だった。
 この橋が板橋だった頃の板が、八木田神明神社に大切に保管されているという情報をもとに出かけてきたのだった。
 「板橋のイメージを求めて~旧八木田板橋」で整理したように、ここでは、その板橋が見つからなかったが、この神社を管理されている方に荒川資料室に移動されたとの確認頂いた。
 http://kazenoshin.exblog.jp/12216661/
 それで、その板橋を訪ねて、荒川資料室に出かけて、資料室の南側の軒下に展示されている板橋を確認した事について、「板橋のイメージを求めて②~旧八木田板橋」として整理した。
 http://kazenoshin.exblog.jp/12222008/
a0087378_6411334.jpg
 いづれも八木田神明神社の散策だったのだが、今回の吉倉散歩とつながったのが、古い道標によって意識させられた「ふくしま道」に、この八木田神明神社の旗立て台が建っていた事だ。
 この四つ角には、消防団の屯所と八木田地区の集会所があって、この道筋が里道に近いのではないのかなと勝手に想像した。
 「ぐるっと吉井田」で確認すると、方木田村・八木田村・仁井田村、そして、今回散歩していた吉倉村が合併して吉井田村が誕生するようだが、その吉井田村の明治27年時点での役場が、小字上八木田にあったとのこと。その小字は現在消滅しているので、「福島の小字」で確認すれば、八木田神明神社の直ぐ東側であり、この道筋とかかわり深いらしい事が想像できる。
 更には、大正9年時点の吉井田村道路元標位置が、その小字上八木田8との情報もある。上八木田の小字自体が消滅しているので、その8の地点が正確にどこを指すのかは分からないのだが、この道筋と想像しても、大きく違える事はなさそうにも思うのだ。
 この道筋とクロスした「ふくしま道」は、旧八木田橋につながるイメージだが、新橋と旧八木田橋と旧八木田板橋とのかかわりは、先に「板橋のイメージを求めて③~旧八木田板橋」として整理している。
 http://kazenoshin.exblog.jp/12227273/
 板橋の架かっていた下流に、八木田旧橋が架かるのが昭和5年で、これが旧ぬる湯街道の延長線上から現在の八木田橋のたもとあたりの位置。そして、昭和昭和63年(1987)に今の八木田橋が架けられたという状況でつながるかな。
by shingen1948 | 2013-10-14 06:45 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)