吉倉八幡社②~吉倉散歩~福島の建築42
2013年 10月 11日
案内によると、権現造とのことだが、拝殿や石の間はごく普通の神社なのだと思う。権現造だと、普通は向拝にも工夫があるとも聞くが、そうでもない。
ただ、ここに初めて来たときから、本殿の部分はかっこいいなと思っていた。案内される壁の彫刻だけではなく、この本殿の屋根や破風の部分や、柱と梁の接合部も、伝統工法の装飾なのではないのかなと思う。神社の見方が分かっているわけではないが、自分としては、案内にある「予想以上の勧化金が集まり、神社本殿を慶応3年(1867)有名な宮大工金子周助氏(成川村出身)宮大工金子幸吉氏により荘厳華麗な社殿が落慶した」という雰囲気を感じているのだと勝手に思っている。
その上に、案内にいう三方の壁に「中国の故事にならった彫刻」が施されるということだ。とりあえず、「ぐるっと吉井田ハンドブック」から、その中国の故事の解説を借りて、彫刻と照らし合わて整理しておく。 西の面が、案内板にいう「猛宗(親孝行)」の場面。
病に臥す孟宗の母が筍を食べたいと言いだしたものの冬のために筍は無く、困った孟宗が竹林の中に入り哀願したところ筍が生えてきて、これを母に食べてもらったと言われているのだとか。
南の面が、案内板にいう「張良(長老を敬い学を得る)」の場面。
土橋の上で出会った老人が履いていた沓を川に落としたが、張良はこれを拾い上げて、老人に履かせた。これが機縁になって老人(黄石公)から「太公兵法の書」を授けられたと言われているのだとか。
北の面が、案内板にいう「司馬光(人の命の尊さ)」の場面。
友達と遊んでいた折に一人の子が甕の水中に没し、多くの子は逃げたものの、司馬光は、石で甕を破り、その子を助けたと言われているのだとか。
これ等の話を頭に置いて彫刻を見れば、漠然とした見え方ではなく、表現に着目した見え方になり、その彫刻の良さが見えてくるということでもある。同時に、その話を聞く中で、儒教的な教えとその表現が文化的に村に広がるという効果もあったのではないかな。