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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」~ 第38話「西南戦争」

 賊軍呼ばわりされた旧会津藩士のこだわりの視点からは、明治10年日本最後の内戦といわれる「西南戦争」が、「朝敵回り持ち」の最終地点。かつて賊軍と呼ばれた旧会津藩士も、今度は官軍として戦地へ向かう。
 ドラマでは、会津藩士の出兵と佐川官兵衛氏の戦死を描くが、この時の山川浩氏は陸軍軍人としての出兵で、佐川官兵衛氏は警視隊の豊後口副指揮長としての出兵であり、会津藩士の出兵者の多くは、徴募巡査として出兵ということらしい。

 「戊辰戦争とはなんだったのか(中村彰彦)」からの孫引だが、この時の警視隊総人数約13000名。
 そのうち、以前から警視局に奉職していた者600名、斗南関係者600名で、徴募巡査として出兵して生還した福島県人が1136名とのこと(「西南戦争・福島県人の奮戦」)。
 戦死者194名は数字がダブり、福島県人には磐城平藩士、相馬中村藩士、福島藩士、二本松藩士も含まれるとの条件付きでの概数だが、その数は約2000名強となり、警視隊出兵者の約1割を占めるという。
 山川浩氏の従者として出兵していた八重さんの幼馴染の高木時尾さんの弟である高木盛之助氏が、薩軍全滅を知った時の感慨を託したのがいかの一首の和歌だとか。
 嗚呼止りぬ深き恨みもはるるよの月
 影清し刈萱(かるかや)の闇
 (わが家の記録)
 これは、東の地からの見え方。

 西の地においては、この西南戦争を通して、明治政府の急激な専制政治の変革の最大の犠牲者が、維新の原動力となった身分の低い元武士達であるという構図がみえるらしい。
 西軍の士族でも、明治政府に役人として仕えたのはごく僅かで、ほとんどの侍たちが失職する。命がけで維新の事業に参画したのに、新政府が樹立されると、朝敵とされた東軍の武士達と同様に特権が失われる事への不満。
 新政府は、廃藩置県、扶禄(家禄)の廃止、廃刀令などの改革を進めるが、これによって、身分が大きく変動して切り捨てられるのは西軍の元武士達も同じ事。
 その中でも、徴兵制の採用は扶禄の廃止につながるが、これは元武士達の存在否定ですらあるが、それよりも元武士達にとって刺激的なのが廃刀令なのだとか。

 若い頃、鹿児島出張先が城山公園近くだったので、立ち寄った事があった。
 この時に、西南戦争が最後の内戦になったという事は意識していたが、近代化政策をスタートする代償として、その士族達の不満の幕閉めのために流された血であることへの思いは不足していたように思う。

 ドラマの概要については、エキサイト「大河ドラマ 八重の桜」のページから、第38話「西南戦争」の粗筋をお借りする。
 http://tv.excite.co.jp/detail/nhk_taiga52/story_38.html
 「西南戦争」
 八重(綾瀬はるか)は襄(オダギリジョー)とともに、新築された英学校の校舎で備品の準備に追われていた。その頃、鹿児島では西郷隆盛(吉川晃司)が配下の不平士族らの決起を止められず、挙兵。西南戦争の幕が切って落とされる。東京からは仕官した山川浩(玉山鉄二)が出兵。警視庁からは佐川官兵衞(中村獅童)や斎藤一(降谷建志)も参戦した。激戦地・田原坂で進退窮まった政府軍の大山巌(反町隆史)は、官兵衛と斎藤を抜刀隊に選抜し従兄弟である西郷に戦いを挑む。

by shingen1948 | 2013-09-29 06:33 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)