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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「庚申の道標」から見える道筋

 吉倉地区の辺りは、早くから耕地整理が行われたらしい。半沢氏の「歴史地図」のメモによると、明治36年には認可され、明治39年には完工しているという。そのためか、散歩を繰り返す中で、古い道筋の雰囲気から、その痕跡らしきものをみつけて、主要な道筋を推定するという楽しみは難しい。
a0087378_6383448.jpg そこで、主要な交差点脇に建立され、道標として道行く人に行く先を教える役割を担う石造物に着目すれば、成川地区に「庚申の道標」が建つ。
 この石造物で、吉井田地区の道筋が見えやすくなるように思うのだが、この道標の紹介は見ない。半沢氏の「歴史地図」のメモによると、成川村は、上・中・下に分村されたということらしいので、その背景があるのかもしれないが、単なる散歩目的なので、この石造物を入れて整理する。
 文化13年(1816)9月14日建立。
 向かって右手に「右大もり」、左手に「西さんのう左ふくしま」が記される。


 この事から、この辺りからの主要な道筋は、「大森」へ向かう道筋と「土湯」に向かう道筋、それに「福島」に向かう道筋である事が分かる。a0087378_642282.jpg
 その中の道筋の一つ「西さんのう」が、「山王道」であり、これが「旧会津街道」、「旧土湯街道」と同義とみてよいのだろうと思う。
 そして、「左ふくしま」だが、この辺りの人々にとっては、北に延びるこの道筋が福島道なのだろうと思う。そこに地蔵堂が並ぶのは、そのためなのだろうと想像する。恐らく、この道筋を「現微湯街道」まで進んで、右に折れて旧道を進めば、先に整理した八木田橋の木橋を渡って、福島へ向かうという道筋になるのだろうと想像する。
 ここに、今まで確認した「六地蔵石幢」、「古三郎内供養塔(板碑)」、「八幡神社」の位置もプロットしておく。
by shingen1948 | 2013-09-26 06:43 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)