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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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吉倉の六地蔵石幢

 ふれあい歴史館に出かけたのは、9月8日~30日まで、「地域の歴史・文化財展」が開かれるという案内に、「吉井田の六地蔵石幢」の写真が掲載されていたからだ。
a0087378_710042.jpg 
 この「石幢」は、実際には堰(馬川?)の傍らの民家入り口に建つ。
 半田氏の「歴史地図」にメモされる「願主本田惣内他・享保13年(1728)」も考慮して、読み取れるかどうか試したが表の中央に「奉」の字とその脇に「八?月」の字が、裏では、「本田」が読めるような気もするが、ちょっと難しいな。

a0087378_7162395.jpg この「六地蔵石幢」の案内柱は、今は倒されているが、「古三郎内供養塔(板碑)」の角の所に建っている。この吉倉の「六地蔵石幢」の側に建っているのではないので、探すのにちょっと苦労した。ここに建つ理由は分からないが、石幢について説明もある。ただ、そこに書かれる文字は殆ど消えている。それで、半田氏の「歴史地図」にメモされる「願主本田惣内他・享保13年(1728)」も考慮して類推読みをすればこんな感じの説明かな。
 「六地蔵菩薩は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天井)の輪廻から人々を救済するという信仰である。享保13年(1728)吉倉の本田惣内他……」というような解説記載なのだろうと想像する。
 展示される内容から新たな情報を探せば、「奉読誦大乗妙典六百部供養」□□願主……名」が読めたらしいこと。
 手持ち情報とこれらの情報を組み合わせると、この「吉倉の六地蔵石幢」は、高さ15m(笠石を含む)、直径35㎝の円柱の上部に六地蔵が刻まれたもの。その円柱の下部の中央には「奉読誦大乗妙典六百部供養」が記され、その左側に「享保13年○月」かな。そして、その裏に「願主本田惣内」と他の名があったということ。笠石と台座付きが特徴。

 さて、この展示は9月30日までだが、この歴史館自体も来月10月1日で閉じるのだとか。先に、遺跡として重要かどうかに関わらず、地域の文化財という視点から、困難な震災からそれを救出する話を見分したところだったが、ここは、単なる行政都合で、その意義が見いだせずに閉じる施設としたということなのだとか。
by shingen1948 | 2013-09-23 07:20 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)