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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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地域展「ふくしま再生と文化財」をみて③「手長足長伝説」

 新地町の貝塚は、津波を避けて安全な高台を選択した結果との考察で、「水戸市大串貝塚」が縄文海進にともなう立地である事の違いはあるとのことだが、「新地町の手長明神社」と「水戸市大串貝塚」とを手長足長伝説で結んだ解説は印象深い。

 「水戸市大串貝塚」の手長足長伝説は「ダイダラボウ」なそうだ。
 日本の妖怪一覧を見ると、これとは別に「手長足長」の妖怪が解説されるようだが、これが、関東・中部地方の伝説で、東北の「手長足長」、岡山県の「サンボ太郎」、九州地方の「与五郎」・「みそ太郎」、沖縄県の「アーマンチュー」が同系列という見え方の中での考察と思われる。
 「ダイダラボウ」伝説と結びつけたいのは、このことによって時代が比定されるという特質があることによるらしい。
 大串貝塚がこの伝説として記録される「常陸國風土記」は、その完成時期は不明だが、和銅6年(713)諸国に風土記編集が命ぜられたのに伴う記録とされるのだとか。「大串貝塚ふけあい公園」パンフ「常陸國風土記と大串貝塚」に、その内容が紹介される。
 平津の駅家の西12里に岡あり。名を大串という。上古人あり。体は極めて長大く、身は丘壁の上に居ながら、手は海浜の蜃を摎りぬ。其の食いし貝、積聚(つも)りて岡と成りき。時の人、大朽の義を取りて、今は大櫛の岡という。其の践(ふみ)し跡は、長さ40余歩、広さ20余歩なり。尿の穴の径は、20余歩許なり。
 このことから、大串貝塚は世界で最も古い時代に記録の残る貝塚という意義もあるとのこと。この巨人伝説の正体である縄文時代前期(約5000年以前)に形成された貝塚であることが明かになるのは昭和初期の調査とのこと。

 この手長足長伝説が、新地町にもあるのだとか。
 昔鹿狼山に棲んでいた手長足長の明神が、東の海まで手を伸ばして海の貝を採り食べた貝殻を捨てたので、新地町には多くの貝塚が残っているという伝説らしい。
 大正13年以降東京帝国大学の調査で、地表50cmの下に70cmの厚さの貝塚が発見され、その下からも大量の特徴的土器が発掘されて、新地式土器と命名されているということで、ここでも、手長足長伝説と縄文時代に形成された貝塚とがかかわっているとのこと。
 ただし、こちらは東北地方の縄文後期後半の標式遺蹟となっているとのことだ(昭和5年に国指定史蹟)。
 また、この伝説が「常陸國風土記」の手長足長伝説のバリエーションであることは推定できるが、その時代が比定されるということでもなさそう。ただ、それより新しい時代である事は確かで、「海から数キロメートルも離れたところに貝殻が捨てられている意味を、奈良時代以降の人間は理解できなかったのである」ということの説得性はありそうだな。
by shingen1948 | 2013-09-20 11:36 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)