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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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地域展「ふくしま再生と文化財」をみて③

 見逃していたが、東松島の縄文人も、生活に便利な海辺より、安全な高台を選択したのではないかとする推論の情報があったようだ。
 「安全性認識か 貝塚、津波直撃免れる 東松島【河北新報(平成23/5/14)】」
 ほとんどの浜が津波に襲われた宮城県東松島市宮戸(宮戸島)で、縄文時代の国内最大規模の貝塚が密集する里浜が津波の直撃を免れた。内湾に面してやや高台にあり、専門家は縄文時代から災害に強い場所として認識され、古代人の定住を促したとみている。
 市によると、外洋の石巻湾に面する宮戸地区の室浜、大浜、月浜は津波の直撃を受け、全家屋の約9割に当たる計約130戸が流失。里浜は高さ約10メートルの高台にある家屋が多く、床下浸水となった家はあったものの、流された家は全117戸のうち4戸にとどまった。
 宮戸地区の奥松島縄文村歴史資料館によると、里浜は石巻湾と反対側に位置し、松島湾側からの波が浦戸諸島(塩釜市)にぶつかって威力が弱められたとみられ、「津波に対する里浜の優位性がうかがえる」という。
 宮戸地区と東松島市野蒜を結ぶ唯一の陸路が震災で途絶え、里浜は地区住民に食料や生活用品を供給する拠点として機能した。近くの旅館や民宿から、避難所となった宮戸小に毛布と食料が運び込まれた。
 記念館の岡村道雄名誉館長は「里浜は多くの縄文人が他の浜から移り住んだことを示す遺跡も見つかっている。津波のダメージが比較的少なく、生活の場として安定していたことをあらためて示したのではないか」と話している。
 感覚的には、今の海岸線を想像した単純な話として読んでしまう。
 しかし、海進や後退、気候変動や地殻変動等も考慮された上での話なのだろうと思う。また、情報の後半には、「縄文人が他の浜から移り住んだことを示す遺跡」等、縄文人の移動の話とも絡むら複雑な考察の結果ではあるらしい。(この移動については、製塩土器の類型などから、茨城の霞ヶ浦文明が松島湾に移動したとされる情報を見る)
 そして、今回の津波だけで、全ての津波について類推することの危うさを残しながらも、大筋として、津波が大変稀なケースであるにもかかわらず、それを前提として、日常生活の場が設定されていたと考察される。
 縄文人も、今回の津波でかかえる現代人選択の迷いと同じように悩んで、その上で出した結論ということなのだろうな。
by shingen1948 | 2013-09-19 06:10 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)