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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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地域展「ふくしま再生と文化財」をみて②

 今回の震災を通して学んだことの一つが、権力者と権威者は、科学という手法を、真理探究以外に使うこと。まずは自己都合に伴う自己主張があって、それを正当化するために、科学の手法を使うということだ。この時に、その道の専門家と称する科学の手法に長けた方に論理構成が依頼される。この科学の手法と権威づけによって、その自己主張が、あたかも真理であるかのような錯覚を与えるという効果をしたたかに狙う。そういう科学がある。
a0087378_5352581.jpg それで、震災以降は、とりあえず自分なりに確からしさを手探るのだが、今回新地町双子遺跡と津波のかかわりについては、「縄文・弥生時代における超巨大地震津波と社会・文化変動に関する予算-東日本大震災津波の地平から<東北歴史博物館研究紀要13>」に、津波にかかわる地層についての地道な積み重ねがあることが確認できる。そういえば、松川浦の津波の地層について報じられているのを見た事があるなと思い出す。

 その中で、「新地町双子遺跡」の層状と、三陸海岸~仙台平野~常磐海岸でみつかった古津波堆積層の層状と年代との考察から、これ等が同じ時代とみても概ね矛盾しないとある。
 その時代が、縄文時代後期(約4000~3000年前)中葉の一時期とのことで、この時代の地層中に津波の痕跡と思われる砂層(津波堆積物)が確認されているとのことだ。
 「新地町双子遺跡」のこの層と同じ時代の貝塚はきわめて少ないことを、当時起こった津波に流されて消失してしまった可能性と考えているらしい。
 そして、その後の時代の新地貝塚や三貫地貝塚が、内陸の高台に位置し、今回の東日本大震災でも津波の被害を受けなかったことにかかわる考察という事らしい。
 この事について、先の「福島県史料情報(2012年/33号)」の「災害の記憶を風化させない(本間宏氏)」では、次のように解説する。
 東日本大震災の被災地である太平洋沿岸では、高台への集落移転が進められています。その移転先の高台には、昔からなぜか縄文時代の遺跡があることで知られていました。
 温暖化で海が上昇する「縄文海進」では説明ができないほどの高さの地形に、海産を主体とする生活をしていた縄文人が拠点を持っていたことは、つい最近まで謎でした。「最近」というのは言うまでもなく、2011年の東日本大震災です。
 その後、津波との関連が指摘され、様々な説や遺跡などが発見、再発見されています。

 これで思い出したのが、奥松島で縄文後期の津波犠牲者かもしれない人骨を発見したというニュース。
 メモとして残してあるはずだと思って探すがみつからない。記憶をたどると、多分、今回の強烈な津波の情報の中、興味本位のメモをする自分を許さなかったように思う。
 ネット検索で、「縄文人骨 津波死の可能性~奥松島縄文村歴史資料館が発表・室浜貝塚発掘の9体」【河北新報((2012/10/27))】の記事をみつける。
 縄文人骨 津波死の可能性
 <奥松島縄文村歴史資料館が発表・室浜貝塚発掘の9体>
 【河北新報((2012/10/27))】
 東松島市の奥松島縄文村歴史資料館は26日、2010年度まで実施した室浜貝塚発掘調査で出土した9体の縄文人骨について「3500~3600年前と測定した」とした上で「いずれも埋葬の痕跡はなく、自然災害で死亡したとみられる。状況からすれば津波の可能性がある」と発表した。中間報告の段階だが、地形学研究者と連携し地質面での年代測定も進めており、今後の分析結果によっては国内最古の津波犠牲者の可能性も浮上してきた。
 人骨は、室浜漁港近くの標高10~20メートルにある室浜貝塚の上部や自然のくぼみから出土。胸部を除き、ほぼ全身が良好な状態で見つかった1体は40~50代だった。このほか、成人の女性が2体、4~5歳児が1体で、残りは性別や年代が判別できなかった。
 同館であった発表には、同館の菅原弘樹館長、地形学の観点から宮戸地区の災害履歴調査に当たる東北学院大地域構想学科の松本秀明教授、発掘調査に携わった元文化庁主任文化財調査官で同館の岡村道雄名誉館長らが出席。

 菅原館長は「出土した人骨は、貝塚などの地表で投げ出されたような格好で見つかった。さらに部分的にしか発見されない人骨も多い」とした上で「縄文時代は穴を掘って埋葬していたが、今回の人骨は不自然な状態だ。埋葬されずに死亡し、動物などにより骨が拡散したと考えられる」との見解を示した。
 その上で「人骨は全て年代が同時期だ。まだ解明すべき点はあるが、大規模な自然災害が発生した可能性がある」との見解を示した。
 岡村名誉館長も「通常はささくれだつ貝塚の表面が滑らかであり、波に洗われたような感じだ」と語り、「発掘当時の姿勢や、骨の欠損部分が多い状況では、埋葬したとは言えない。野ざらし状態で、まとまっての出土は、津波被災人骨と推定される」との見方を強めている。
 自然災害の可能性について、昨年から同館と連携し宮戸地区でボーリング調査を進める松本教授は「人骨に大きな損傷は見られず、土石流災害は考えにくい。砂礫(れき)層を複数確認しており、宮戸地区には少なくとも3100年以降に大津波が複数回襲来したと思われる」と述べた。
 また「今後は3500年前を焦点に、室浜と隣接する大浜地区を起点に測定し、年代を明らかにしたい。分析結果が出れば、津波被災の可能性がより高くなる」との判断を示した。
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 3500年前の巨大津波については、ことし3月に退官した元北海道大地球環境研究院の平川一臣氏が2月に出版された「科学」(岩波書店)で、調査した根室市から気仙沼市にかけて痕跡を確認したことを発表している。
 菅原館長は「災害とみられる縄文時代の人骨出土は、国内に類例がない。さらに分析を進め、来年3月には最終報告をしたい」と述べた。
  【室浜貝塚から出土した縄文時代の成人男性とみられる人骨=東松島市奥松島縄文村歴史資料館】

by shingen1948 | 2013-09-18 05:45 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)