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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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戸の口原古戦場に立ち寄る②

  「会津戊辰戦争」によると、西軍が戸ノ口原に達した時のここを守る東軍の概要は、次のような状況だったとか。
 小池繁次郎率ゆる遊撃隊70~80名を以て戸ノ口を扼し、
 辰野勇の敢死隊及び坂内八三郎の奇勝隊各70~80名を以て戸ノ口原を保つ。
 其の他、上田新八郎の第2奇勝隊約120~130人、之に砲兵を加え、極力西軍に当たる
 ※ 扼す=要所を占める
 そして、「郡奉行古川幸之進は、日橋川の橋梁を焼き、桑藩の兵と険に據って大寺方面を固守する」
 ※ 険に據る=危険・困難が多いことから
 この状態から、十六橋を突破した「西軍の一隊、笹山に進出して東軍の右側を衝きしを以て、東軍益々苦境に陥りたるも」、それでも日暮れまで防戦する。a0087378_6553737.jpg この時点で、白虎二番中隊が赴援することになる。
 その位置を「会津戊辰戦争」は、「敢死隊の右に連なりて西軍に対す」と表現する。
 案内板の「因みに白虎隊士中2番隊士は、此処より2㎞も西の赤井谷地周辺で戦っている。」という表現と重なるのが、その位置かなと思う。
 要は、この「戸ノ口原は方一里余に亘る曠原(こうげん)にして、丘陵諸処に起伏しあるも地形の利用困難の地にして寡兵(かへい)を以て大軍を扼止(やくし)し得べき地形にあらず」ということで、地形的に次の丘陵地形地に陣を張っているという状況を解説されたものなのだろうか。
 ただ、「会津戊辰戦争」の移動図では、その最前線はそこから東進しているようにも読み取れる。

 その結果、「之に反し、西軍益々増加し、その戦線北は日橋川の左岸より南は赤井村方面に亘(わた)りて、延長しなければ、東軍益々苦境に陥り、白虎半隊頭佐藤駒之進、敢死隊総務辰野勇奮戦して之に死す」
by shingen1948 | 2013-09-11 06:58 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)