地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」~ 第29話 「鶴ヶ城開城」⑦=降参の大義

 大河ドラマ視聴「八重の桜」~ 第29話 「鶴ヶ城開城」⑥まで整理してきた。まだ書けなかったのが、「鶴ヶ城開城」の大義だ。城南豊岡⑤~もう一つの大義を確認し、その続きで「城南豊岡⑥~開城(降参)の大義」であり、これが第29話「鶴ヶ城開城」⑦~「開城(降参)の大義」ということでもある。

 ドラマでは、「会津戊辰戦争」に記される大義の内容」を、城内の兵に対し容保が語りかけたことが描かれた。
 「会津戊辰戦史」には、21日「暁天より城中、発砲を止(や)む」とあるように、その日は明け方から城内は静まり返った。その夜、容保は城内の兵に対し、「予一人の為(た)めに数千の子弟人民艱苦(かんく)の状、見るに忍びず。風に聞く錦旗領内に臨むと、苟(いやしく)も朝敵に抗するの念なきに於(お)いては、速やかに城門を開き降(参)を請い、藩士祖先の祭祀(さいし)を全うせしめ人民塗炭(とたん)の苦みを救わんとす」(暗涙之一滴)。
 「風に聞く錦旗領内に臨むと」の「風に聞く」のは米沢藩士からの情報だ。「会津戊辰戦争」では、以下のように記す。
 米藩更に高久村にありし萱野権兵衛に書を寄せて、勧降す。其の要に曰く。
 幣藩(へいはん)等貴藩と共に奥羽の同盟を結びしは薩長の私兵に富らん(あたらん)が為なり。
今や薩長の私兵と思考せしもの全く王師にして、仁和寺宮は既に錦旗を進めて塔寺に入り給ふと聞く。我等之より王師に対抗すべき存念なし。故に同盟を脱して王師に降りしなり。貴藩亦此の意を諒し開城せられんことを望む。尚ほ、君公御父子の御存命は勿論減禄処分に止まるべし。
 ここの「仁和寺宮は既に錦旗を進めて塔寺に入り給ふと聞く」の部分で、このまま戦闘を続ければ、王師に対抗すべき状態に陥ってしまうということなのだろう。
 容保が、戦いを続けるその大義は、京都守護職として孝明天皇の警護をしていたのに、朝敵とされる悔しさだ。錦の御旗が領内に入ってくるということは、「『錦旗=王師』に対抗すること」=「朝敵」という構図になってしまうということだ。
 「開城(降参)の大義」は、この一点であり、「藩士祖先の祭祀(さいし)を全うせしめ」ることなのだろうと思う。
 「人民塗炭(とたん)の苦みを救わんとす」と「君公御父子の御存命は勿論減禄処分に止まる」というのは、一義的な事ではなく、付随事項なのだろう。ドラマでは、そこの「尚ほ、君公御父子の御存命は勿論減禄処分に止まるべし」を、家臣が望むこととして、八重に語らせたるという体裁をとったということなのだろうと想像する。
 このこだわりは、会津藩糞尿降伏説を唱えた山村竜也氏が「八重の桜」の時代考証に就任した事については、「大河ドラマ視聴『八重の桜』よそ見編Ⅲ」でふれたが、そのこととのかかわりだ。
 http://kazenoshin.exblog.jp/17528236/
by shingen1948 | 2013-09-05 14:46 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)