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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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城南豊岡⑤~もう一つの大義

 日光東照宮の御神体の奥羽地方動座が、その立場によって思惑や評価が多様であるように、城南豊岡に迎え奉った輪王寺宮公現法親王(北白河宮)についても、その思惑や評価が多様であるようだ。その後構築された権力に関わった方にとっては、ふれたくない事でもあるらしい。
 ただ、この確認によって、武力という観点の他に、もう一つの戦いの観点である「大義」の視点が見えてくるようにも思う。

 輪王寺宮公現法親王(北白河宮)が、奥羽地方動座中の日光東照宮の御神体に、この城南豊岡の東照宮で出会うことに重ねて、その基礎知識として以下のウィキペディア「東叡大王=三山管領宮」の項の解説を読む。
 上野東叡山寛永寺貫主は、日光日光山輪王寺門跡を兼務し、比叡山延暦寺天台座主にも就任することがあり、全て宮家出身者または皇子が就任したため、三山管領宮とも称された。これは、敵対勢力が京都の天皇を擁して倒幕運動を起こした場合、徳川氏が朝敵とされるのを防ぐため、独自に擁立できる皇統を関東に置いておくという江戸幕府の戦略だったとも考えられる。こうすれば、朝廷対朝廷の図式を、単なる朝廷の内部抗争と位置づけることができるからであり、実際に幕末には天武皇帝(天武天皇)の即位として利用している。
 この幕末の天武天皇の項を確認すると、ここに「北白川宮能久親王」が登場する。上記「東叡大王=三山管領宮」とかかわる部分を確認すると以下のようである。
 慶応3年(1867)5月、江戸に下って上野の寛永寺に入り、同月慈性入道親王の隠退に伴って、寛永寺貫主・日光輪王寺門跡を継承した。院号は「鎮護王院宮」、歴代門主と同じく(朝廷や公家からは)「輪王寺宮」と通称された。
 鳥羽伏見の戦いの後、目的通りに画策するようだが、うまくいかなかったという状況下、寛永寺に立て篭もった彰義隊に擁立されて上野戦争に巻き込まれる。
 その敗北によって、東北に逃避、仙台藩に身を寄せて、奥羽越列藩同盟の盟主に擁立される。城南豊岡で、日光東照宮の御神体に出会うのは、その途中での出来事。
 「baku 幕末年表 matu」のぺージの情報をお借りして、慶応4年(1868)戊辰戦争で上野戦争に敗戦後、北白川宮能久親王が仙台に身を寄せるあたりを抜き出し羅列してみる。
 http://kazusin.web.fc2.com/bakumatu3.htm
 6月16日 輪王寺宮公現法親王、列藩同盟盟主となる。
 6月17日 輪王寺宮公現法親王、鶴ヶ城東照宮で日光東照宮の御神体に拝礼
 6月18日 輪王寺宮公現法親王、会津を出、仙台に向う。
 ここまでは、先に、輪王寺宮公現法親王(北白河宮)が、奥羽地方動座中の日光東照宮の御神体に、城南豊岡の東照宮で出会う事にかかわって整理している。その後、仙台に身を寄せる辺りまで。
 6月20日 輪王寺宮公現法親王、米沢に入る。
 6月21日 仙台藩主伊達慶那、 領内に輪王寺宮公現法親王を迎える布告を出す。
 ここに、先に整理した<6月22日 長岡、会津、米沢軍 福島村の新政府軍急襲>が入り、以下の西軍(新政府軍)の動きが重なる。
 【6月23日 醍醐忠敬参謀 秋田領内に入る】
 【6月24日 新政府軍 棚倉城を陥落、棚倉藩降伏
         九条道孝総督 秋田領内に入る】
 【6月27日 新政府、天皇東下問題議論(28日、29日も)】

 同じ6月27日 輪王寺宮公現法親王は、 米沢を出て、白石に向う。
 6月28日 輪王寺宮公現法親王、白石に入り仙台藩主親子の奉迎を受ける。
 7月 2日 輪王寺宮公現法親王、仙台に入り新築された眺海山仙岳院を御座所とし新政府軍追討の令旨を出す。
 7月 5日 輪王寺宮公現法親王、天下泰平の祈祷を9日まで行う。
 7月 9日 仙台藩主伊達慶那親子、輪王寺宮公現法親王に拝謁し、御礼を言上。     
   輪王寺宮公現法親王と天璋院、仙台藩主伊達慶那に薩長を追討し徳川の再興を願う手紙を書く。
 7月10日 輪王寺宮公現法親王、仙台城に入り「日光宮御令旨を下す」
 7月12日 輪王寺宮公現法親王、仙岳院を出て、白石に出陣、但木土佐先陣を勤める。
  そして、【7月13日 新政府軍 平を攻略 磐木平藩降伏】した同じ、7月13日  輪王寺宮公現法親王、白石城に入り、板倉勝静、小笠原長行奉迎。

 岩倉具視が構築した大義は、大河ドラマで描かれたが、その大義に奥州列藩が構築したこの羅列した大義構築が、武力によって敗れたという事でもあるのかな。
by shingen1948 | 2013-09-04 16:15 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)