地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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城南豊岡③~「松平容保ゆかりの特別展」開催の記事とかかわって

 「会津戊辰戦争」で、「市民此の霊場を知らず」とぼやいた「城南豊岡」を確認するのは、「松平容保ゆかりの特別展」開催の記事の確認というかかわりもある。
 【下野新聞(2013/4/21)】という地方紙に、「松平容保ゆかりの特別展」開催の記事をみた。この特別展は、大河ドラマの放送に加え、「平成の大修理」が国宝・陽明門など主要な社殿に移行するこの時期に合わせて開催されたとのことだ。
 会津戦後、幕府の保護を失って荒廃する東照宮を維持する目的に結成された「保晃会」の初代会長が松平容保氏とのこと。その松平容保氏が寄贈した徳川家康を描いた掛け軸が、今回初公開なのだとか。
 気になったのは、この徳川家康を描いた掛け軸は、会津若松城に祀られていた秘蔵品という情報。「会津若松城内に『鎮座』していた『御神像』だというが、来歴はほとんど分かっていない。ただし、会津戦争の際に城から“救出”されたとの史料もあり、今後調査する予定」とある。
 日光東照宮のホームページを確認すると、「東照宮側の受け取り書には『会津藩若松城に鎮座の神像』とありますから、会津藩主松平家の守護神としての東照公像と言えます」とある。
 城南豊岡を詳しく確認したかったのは、この「御神像」が会津若松城内に鎮座地が、城南豊岡の東照宮だったのではないかなと思った事もある。

 なお、「日光東照宮のホームページ」の情報では、「(松平容保氏は、)明治5年には赦免され、同13年に5代目の宮司として、日光東照宮に赴任されました。同時に会津藩の家老であった西郷頼母近悳も宮司を補佐する禰宜職に就任しています」という情報があって、こちらも大河の流れの中のその後という意味で興味深い。

 更には、「会津戊辰戦争」の「延寿寺は松平家類代の遙(よう)廟所にして、曩に(以前に)輪王寺宮公現法親王(北白河宮)を迎え奉りし史的境内なり」と紹介されるこだわりを確認すると、会津に入るのが6月17日で、翌18日には、仙台に向かっている。この事と日光東照宮のご神体が7ヶ月間にわたって奥羽地方を動座した後に還座するという経緯がこの城南豊岡で重なっているようなのだ。
 この御神体が、会津城内東照宮に安置されるのが、閏4月5日で、17日に松平容保氏が拝礼しているらしい。西軍が会津盆地に迫った為に、御神体を米沢を経て、山形城下に動座するのが、8月23日らしい。
 輪王寺宮公現法親王は、6月17日に、この城南豊岡で、日光東照宮の御神体に拝礼しているということになるのだろうと思う。
by shingen1948 | 2013-09-02 07:06 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)