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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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阿弥陀寺大仏(蘆舎那仏)③

 どうでもいい事が気になるようになったのは、散歩を楽しむようになってから。
 その一つが旧地安置位置だが、これは想像の域を出ない。しかし、こちらの情報で、解決した事もある。それは、阿弥陀寺に大仏(蘆舎那仏)が移設されたのは、明治初年の神仏分離令に伴う廃寺にかかわるということ情報だ。
 「会津戊辰戦争」によれば、この大仏は、本来的に飯盛山正宗寺が所有する仏像で、西軍の軍夫が、戦争の混乱に乗じて盗み出し売りさばこうとしたということ。
 ならば、七日町の鍋吹業<屋号丸角>の主人谷彦左衛門が安く買い受けたという状況は、盗品と知りつつ買い取ったということだ。
 更に、七日町の町内がこれを譲り受けて、阿弥陀寺に安置したということなら、これだって、盗品と知りながら譲り受けたという状況だ。
 気になっていたのは、本来の所有者が飯盛山正宗寺との関係だ。
 法律的な事は分からないが、他所者としては、少なくとも飯盛山正宗寺に戻すというのが筋かなと思えたのだ。しかし、この時点で飯盛山正宗寺が、明治初年の神仏分離令で、廃寺になっているという状況、更には、阿弥陀寺には、多くの会津藩士が埋葬されたという状況を考えれば、その安置場所として納得できるということ。

 どうでもいい事で気になっていたことがもう一つあった。
a0087378_642131.jpg 阿弥陀寺の案内板に掲げられる写真には、七日町が写り込んでいるのだが、これが西側を見ているのか、東側を見ているのかという事。
というのは、平成22年(2010)に、この阿弥陀仏が、明治初期(少なくとも明治25年まで)は、東を向いていた時期があるということだ。
 この写真、どう見ても古い街並みだ。この時点で、東を向いていたのか、西を向いていたのかによって、その写り込んだ風景のイメージが変わる。
 安心したのは、「会津戊辰戦争」に掲げられる大仏と会津藩殉難者の合葬地が写る阿弥陀寺の写真は、大正年間から昭和4年の間に撮影されたはずだが、ここに、御三階が写り込んでいなかったということだ。
 この事は、御三階が阿弥陀寺北西位置にあって、大仏が西を向いていた可能性のある時期があるということだ。
 ならば、アングル的には高い位置から撮影されているこの写真の撮影位置を、御三階と想像し、西を向いていた大仏が写り込んだ七日町並みという自然な感覚が肯定されるということだ。
 今度は、先の情報で明治25年に御三階から撮影された写真が存在するとのことだが、その写真とこの写真のかかわりが気になる事かな。
by shingen1948 | 2013-08-27 06:06 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)