大河ドラマ視聴「八重の桜」~ 第32話「兄の見取り図」
2013年 08月 18日
その一つ、「東京遷都」は、都が京都から東京に変わるだけでしかないという感覚しか持ち合わせていなかったと思う。
これは、京都の住民にとっては、大変な出来事であったということだ。
その一つは、勿論市民感覚で、都でなくなるという事は大変な事で、千年以上続いた歴史がここで終わるということだ。
それで、遷都は、京都市民にとっては騙しうちのように行われたようだが、明治2年に明治天皇が東京に行幸されて、実質的な遷都が完了するということらしい。
もう一つが、実質的なダメージだ。経済的ダメージは甚大なものとなる可能性が高かったはずだ。
遷都は、消費者が大挙して流出することであり、生産者や流通に関わる業者は大幅に売り上げを失って衰退していくということである。それが連鎖して、倒産や廃業がスパイラルに続けば、人口が減り、荒廃していくという現象が避けられないということだったらしい。
しかし、当時の京都府は官民が協働して、東京遷都の後の京都を復興させたばかりでなく、京都の近代化が進んでいったということだ。そして、この復興には会津藩士である山本覚馬が、その一翼を担っていたという認識を持ち合わせて、ドラマが楽しめるということらしい。
明治時代の初期の実施施策を確認する。
京都府知事槇村正直氏がかかわっていると思われる。ここに、明治4年(1871)に八重がやってきて、ドラマ展開と重なるのかな。
明治2年(1869) わが国最初の学区制小学校の開設
明治3年(1870) 舎密局(せいみきょく、理化学講習所:京都大学の前身)の開設
明治4年(1871) 勧業場(産業振興センター)の創設、製革場の設立、京都博覧会の開催
明治5年(1872) 新京極の建設、牧畜業の開業、わが国で最初の女学校である「新英学校女紅場」が旧九条殿河原町邸(上京区土手町通丸太町)に設立。
そして、同志社英学校(現 同志社大学)が開学するのは、明治8年(1875)のようだ。
ドラマの概要については、エキサイト「大河ドラマ 八重の桜」のページから、第32話「兄の見取り図」の粗筋をお借りする。
http://tv.excite.co.jp/detail/nhk_taiga52/story_32.html
「兄の見取り図」
京都の覚馬(西島秀俊)が暮らす家で、八重(綾瀬はるか)、佐久(風吹ジュン)、みね(池田沙弥花)が同居する初めての朝。台所を手伝おうとする八重だが、時栄(谷村美月)の段取りの早さについていけない。みねはうら(長谷川京子)の事が忘れられず母屋を飛び出し泣き崩れる。しかし、みねのあとを追おうとした八重を覚馬は厳しく制止する。そして、八重に自らが取り組む京都再建の片腕になるよう命じる。