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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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八重の桜番外編~天文台跡を訪ねる③

 ここから家人の要望で向かうのが、もう一カ所あって、それが山本家。
 そこに向かうのに、若松商業高校の前の道筋を進む。原風景とのかかわりで見ているので、その向かいが第三中学校というイメージ。その道筋を西に下って、南北に斜めに走る道筋と交差したら、そこれ右折して進むという計画だった。
 その途中、後ろ座席で石橋が見えるとの声。それで、車を止めて撮ったのが、この石橋。
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 多分、違うと思うのだが気になるのは、冸橋にかかわる情報。この橋が、市内のどこかに残っているらしいのだが、それが、自分では何故だかは分からないのだが若松商業だと勝手に思いこんでいる。いずれにしても、元々架かっていた位置に現物があって初めて価値あるものになるものだと思う。
 この橋がそうかどうかは分からないが、冸橋にかかわる情報を整理しておく。

 「日新館を構成する構造物の一つに、大成殿の前の「泮水」と称される池がある。半円の形で、長さ三十七丈二尺、広さ一丈八尺、深さ一丈余りとか。
 その両岸に石柱を聡立し、三方に石橋を架かる。南側の橋が、戟門の正路に架かる橋で、東西に架かる橋が、小学寮に通じている。これが冸橋で、各欄干を施し、長さ一丈八尺で、「其質、堅くして色潤なり、所謂北山の紫石なるもの」だとか。

 この冸水の意義を確認すれば、古来、中国では、家宅の前に池を据える習慣があったとか。その理由の一つにあるのが風水観のようなものらしい。水は、気を集めて家宅に良いことを引き寄せることができるという観。
 それを泮池と名付けるのは、学校や学生の良成績を祈願の意味も含んでいるらしい。この池に架かる泮橋が、昔、科挙(国家の文官試験)の功名を取った方に対する尊敬を表すために造られるものだとか。
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  「戊辰戦争」で日新館を確認すれば、以下の紹介。
 寛政11年に至り、既設の規模狭小にして修学に便ならざるを以て、新たに米代一の丁に校地を相し、雄大荘厳なる孔子及び顔子(がんし)の聖堂、及び文武の学寮塾舎並びに天文台を建築して日新館と称す。
 日新館は縦125間横64間此の面積8千坪を敷地となし、寛政11年起工す。この工事には人夫13800人を要する見積もりにして藩士の子弟も草鞋を穿ち(うがち)、鋤鍬(すきくわ)をとりて地均し(じならし)工事に従事し、5か月の後建築工事に着手し、爾来(じらい)5カ年を閲し(けみし)、文化元年に至りて大成し、文武の学寮完備せざるものなく、実に東北第一と称せらる。
 この享和元年(1801)に完成した東北一の藩校である日新館が、八重の実家近くにあったということ。

 戊辰戦争が会津に迫る頃には、ここが「日新館病院」となり、旧幕府の西洋医学に精通した陸軍医の松本良順が、院長となっていた。
 これが、8月23日には、「西出丸より火箭(ひや)を射て之(これ)を焼く、傷兵歩することを得たる者は城に入り、歩する能は(あた)ざる者は自刃す」とのことだが、この辺りはドラマでも描かれていたな。
by shingen1948 | 2013-08-17 10:33 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)