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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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八重の桜番外編~天文台跡を訪ねる②

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 ここは家人の要望で来たのだが、それでも自分の原風景とかかわりたくなって、登り口を探と南側に階段があった。
 確認すれば、足元注意の案内で、今でも特に登る事を禁止している訳ではなさそう。小学生のころ好川のおじさんの紹介で、早朝に武徳殿で剣道を習っていたことがあったのだが、その行き帰りに時々登ったことを思い出したのだ。

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 登ってみると、当時は感じなかったが、確かに足元注意だなと思うし、案内板にあった「観台は、当時の規模の半分となった」ということもよく分かる。というのは、復元された藩校日新館の施設と比べれば確かに小さいかな。
 それでも、登ってみれば四方が見渡せて、天文台跡であることの実感はできる。

 先に整理した「花畑郭門口跡を訪ねる」あたりの教育施設とかかわれば、「会津戊辰戦争」の日新館の解説の後に、子弟に特別の教訓等をせずに、遊びに出しておけば教育される体制になっていることを強調するのだが、その後に、以下の解説が見える。
 「又、学館を郭外甲賀町口及び城南花畑に設け、徒士の身分ある者の子弟を教育す。之を南北学館と称す。」
 教育施設の南学館が、城南花畑に設けられているのだが、その位置は花畑大通り筋にあったらしい。
 先の整理とかかわって「若松城下」の地図で確かめると、堀と重なる道筋が、東西に走る道筋とクロスする地点から、堀はやや南に越えて延び、現根本塗装店の東側の道筋の歪んだ辺りを頂点に、ここから折れて、そこからまっすぐ16蔵橋の堀に重なるように堀筋はのびるようだ、
 その折り返し点を背に南の通りあたりまでの間に、この学館は建っていたらしい。
 なお、その南の通りが、おおよそ花畑大通りと重なる位置らしい。
by shingen1948 | 2013-08-16 19:51 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)