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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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八重の桜番外編~花畑郭門口跡を訪ねる②

<花畑郭門口跡を訪ね、城下地図のイメージを重ねる>
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 美幸食堂の脇道は、花畑口郭門へ向かう「花畑口通り」と重なる。これは、その道筋から、堀跡と重なる斜めに横切る道筋とクロスする辺りをみた風景で、これが、花畑口郭門跡の風景と重なっているはず。


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 その花畑口郭門跡の辺りから、堀跡と重なる斜めに横切る道筋方向をみると、こんな風景だ。
 気になっているのは、会津若松市の「体験学習の手引」の「城下の町並み」の説明の中に、この花畑郭門跡にかかわる説明の中に、この花畑町に郭門跡とかかわる土手が残されるような説明を見た事だ。

 会津若松市の「体験学習の手引」の「城下の町並み」の説明の中に、郭門にかかわる以下の説明がある。
http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/j/kyoiku/kyouiku/fukudokuhon/naiyou/49aizuwakamatsu3/html/00017.html
 町は、内堀に囲まれた城、外堀の中(郭内)の武家屋敷、外堀の外(郭外)の町人屋敷、社寺などの3つに分けられています。
 外堀を作るに当たって、氏郷は湯川を利用したといいます。芦名氏のころ東から流れてきた川は城の北を本流の車川が、城の南を湯川(羽黒川)が流れていたのを本流としました。この車川を外堀の一部に利用して外堀としています。土手と外堀にあった郭門は現在甲賀町口(こうがまちくち)、土手は花春町、堀は城南町十八蔵橋の所にしか残されていません。
 気になったのは、「土手は花春町」とある部分だが、2枚の写真の中にそれらしきものは確認できない。
 思い出したのが、記憶違いがあるかもしれないが、マルトモができたばかり頃の店舗は、西側から東側に向かって拡張していったのだが、その東側に草ぼうぼうの高まりがあったような気がするのだ。
これが、「土手は花春町」と重なるのかもしれないと、勝手な思い。

 「堀は城南町十八蔵橋の所にしか残されていません」の堀は、道筋とかさなる堀跡の延長線の風景だが、城の南を走る道路とクロスする辺りから、折れて十八蔵橋跡に向かう堀と重なる風景のはずだが、今回は、そこまでの確認はしない。
by shingen1948 | 2013-08-13 05:14 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)