地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」~ 第31話「離縁のわけ」

 今話の離縁話のうち、覚馬とうらさんの離縁と川崎尚之助氏と八重の離縁については、先走って<大河ドラマ視聴「八重の桜」よそ見編Ⅳ~「八重の桜」の講演会②>で整理している。
 http://kazenoshin.exblog.jp/17745437/
 ドラマでは、分かっている状況を元にして、それを「離縁のわけ」として描くが、その情報がどこまで届いていたものかは分からないわけで、それに加えて家という概念がかかわっているような気がしている。 
 ドラマでは、うらさんは離縁の決断後、会津へ向かうということだったが、実際には一人で旅立つのではないのだろうと思う。
 この時代の会津では、男が核となって一つの家族が構成されるはずで、婚家から外れれば、実家の構成員となるはず。だとすれば、実家樋口家に戻る事を選択しているということになるのだろうか。
 娘のみねが京へ向かうのも、山本家の次の世代への配慮という家という概念に基づくものだろうと想像する。
 樋口家のその後だが、斗南藩へ向かうのだとは思うが、その情報を知らない。

 もう一つの川崎尚之助氏と八重の離縁についても、八重が実家を選択したという事だと思う。
 川崎尚之助氏は、その後一人身で斗南藩に向かう。
 ドラマでは、尚之助が斗南藩のために行った米取引に失敗し、取引先から訴えられ、その罪を一手にかぶるというふるまいが描かれた。最後まで会津藩士として扱われたこの事は、それ以前の不名誉な噂話を払拭したという事でもある。最近になって、死後は実家川崎家に戻ることが出来たという事も分かったということのようだ。
 これでも、尚之助氏の扱い実際の功績に比べて過小評価かもしれないとも思う。
例えば、籠城戦で、八重は女とは思えない銃の取り扱いをするのだが、この知識や技能をどこで身につけたのだろうか。会津在住のままなのだから、日新館教授であり、直前まで米沢藩士にも教授する夫の川崎尚之助氏しか考えられないと思うのだ。女だてらに銃を見事に取り扱う事が出来る八重を育てたのは、川崎尚之助氏である。それなのに、光が当たらなかったという背景には、他所者の功績を認めないという雰囲気があるのかもしれないとも思うのだが、どうだろうか。

 ドラマの概要について、エキサイト「大河ドラマ 八重の桜」のページから、第31話「離縁のわけ」の粗筋をお借りする。
 http://tv.excite.co.jp/detail/nhk_taiga52/story_31.html
 「離縁のわけ」
 米沢の八重(綾瀬はるか)の元へ、尚之助(長谷川博己)から離縁状が届く。気丈に振る舞いながらも悲しみを抑えきれない八重。尚之助は斗南藩のために行った米取引に失敗し、取引先から訴えられ勾留されていた。しかし、八重への手紙にそのことは書かれていなかった。そして、八重たちの元に今度は京都から知らせが届く。それは、兄・覚馬(西島秀俊)が生きていて、八重たちを呼び寄せたがっているという内容。しかし、喜びも束の間、覚馬に内縁の妻と娘がいるという事を知り、八重は激怒する。
 明治4年(1871)の秋、うらと別れた八重と佐久、みねの3人は京都へ到着。ようやく八重たちは覚馬と再会を果たす。
by shingen1948 | 2013-08-11 07:37 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)