人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

大河ドラマ視聴「八重の桜」~ 第30話「再起への道」⑤

 米沢藩とのかかわりの中で、会津開城の流れは展開する。また、八重の「再起への道」は、米沢で展開される。その米沢藩の会津への恭順説得までの流れを確認しておこうと思う。
 米沢藩について確認したのは、米沢藩降伏のきっかけが、米沢藩にとっての福島方面藩境の庭坂で起こっていた事までだった(大河ドラマ視聴「八重の桜」~ 第29話 「鶴ヶ城開城」⑦)。
 http://kazenoshin.exblog.jp/page/2/
 8月18日に、二本松に転戦した土佐藩の迅衝隊は、親戚筋の米沢藩を案じて、恭順を勧める書状をしたため、隊士の沢本守也が庭坂本陣まで届けたということだ。これに米沢藩首脳部が心揺さぶられるのは、この時点での越後方面の藩境では、戦況が絶望的になっていたという状況にあったからのようだ。
 その時の越後方面の藩境の動きについては、以下のように整理していた。
 その仙台藩に相談中の21日には、大里峠の陣に、下関の豪商渡辺利左衛門が密使として訪れ、芸州藩隊長寺本栄之助から託された恭順を勧める書状が渡されるという事もあって、恭順の手続きが進められ、最終的に9月10日に降伏する事になるらしいのだ。
 米沢藩が越後方面の本陣を下関に置いていたのは、この「下関の豪商渡辺利左衛門」という方が、米沢藩にとっては経済的パトロンとして重要な方だったとか。それで、攻めの戦略の中では、ここが戦略の要の地となっていたという。
 しかし、中越戦線の総敗北で守りに入った米沢藩は、越後方面の藩境守備には、この地が平地続きで陣構えが難しいので、本陣を沼村に後退させるようだ。
 それで、ここが本格的に進軍してきた西軍の本営となるという入れ替わりが起きるのだが、これが8月11日。渡辺家の本家は薩摩藩の本陣に、分家が芸州藩の本陣に接収される。
 ここで、米沢藩が中越戦線から戻った主力部隊を再編成するのだが、ここで先に整理した例の福島藩主が逃げ込んで来る事態が重なるという事情があって、越後方面と福島方面に出兵させることになったようなのだ。その越後方面出兵が8月14日で、福島方面軍が8月17日。
 この状況下で、先に整理した恭順を勧めれた状況につながるのが8月18日ということのようだ。

 その後日を、米沢藩を中心に整理される「上杉家の戊辰戦争」のページから、拾い読みさせていただく。
 http://www7a.biglobe.ne.jp/~soutokufu/index.html
 二本松方面・関宿(下関)方面の西軍の双方から恭順を勧めれた米沢藩庁は、8月24日の会議で新政府軍への降伏を決定している。その書状を持った大滝新蔵と杉山盛之進が二本松の総督府へ向かい、翌日には参謀渡辺清にその恭順の嘆願書は受理される。
 この後の米沢藩の恭順の流れは、越後側で進めらしい。米沢藩を越後側から見るのは自分としては新しい視点。

 8月26日、関宿の渡辺家に本営を置く西軍に恭順を求める使者を送り、その指定に従って、28日に米沢藩庁の代表黒井氏と玉川本陣代表の斉藤氏が沼村に出頭する。この時、西軍からの長州藩代表として参加するのが、秋月とのかかわりで整理した奥平謙輔氏、豪商渡辺利左衛門が密使を持たせた芸州藩代表の寺本氏、それに薩摩藩代表の村田氏とが会談に臨んでいる。ということで、会津坂下で秋月に手紙を託す以前の奥平謙輔氏にもつながるのだが、今回はあくまでも米沢藩の恭順の流れの整理。

 この時に示された要求が、以下の事。
 ① 9月4日までに藩主父子のいずれかが新発田総督府まで出頭すること。
 ② 藩境守備部隊の解散と藩境沿いの諸陣地の破却
 9月1日には、米沢藩主上杉斉憲が三の丸で謹慎、更に、全藩士に謹慎するように命じている。そして、2日に、家老等が高鍋藩の阪田を伴って、新発田の総督府に向かうが、藩主の出頭を巡ってのトラブル。
 米沢藩世子の上杉茂憲が、新発田総督府に8日に到着して謝罪後、10日に嘆願書が提出され、これを総督府が認めて、この日を正式な米沢藩が降伏した日になるという経過のようだ。

 ここまで整理してくると、会津への恭順説得の話は、米沢藩安泰のため、西軍に示す功績稼ぎの側面が見えてくる。功績稼ぎのためには、鶴ヶ城攻撃の先鋒となるか、会津藩を恭順させる事かということだが、米沢藩では、後者の取り組みに成功したということかな。
 なお、西軍=新政府軍として整理しているが、「西軍」とすると、東北人の視点では、「降伏」というどこか割り切れない屈辱感につながり、「新政府軍」とすると「恭順」で仕方ないのかなという感性につながるということで、感じ方に微妙な違いがあることを味わいながら整理している。
by shingen1948 | 2013-08-10 06:23 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)