大河ドラマ視聴「八重の桜」~ 第29話 「鶴ヶ城開城」②
2013年 07月 28日
その一つが、ニ葉さんの子供がどうなったかということ。
自分だけで視聴していれば気にもならなかったのだろうが、家族に質問されてしまったので、確認せざるを得なくなった。
情報によっては、梶原二葉は、2歳の梶原景清を伴って入城というのもある。しかし、ドラマが描くように、入城の時に、子供を連れた乳母とはぐれたということだったらしい。
「十七歳にて会津籠城中に実験せし苦心(山川操)」の「主人の娘を連れて逃げ行く」の項に、以下の情報を見つけた。
私の姉に二つの子どもがおりました。それを姉は城内へ連れて行こうとしますと、その子についておりました乳母は非常に悲しんで、ぜひ、このお子さんだけは私にいただかして下さい。私が在所へお連れ申してお育て申したいと申します。けれども姉は、乳母などにやってしまえば、百姓として一生を終らなければならない。それより城内へ連れて行って、自分と共に死んだ方が子供のためにも幸福だというて、承知しませんでした。乳母は、せん方なくその子を背負うて、姉について城の方へまいりましたが、途中で子供を背負ったまま姿を隠しました。
姉は非常に驚きましたが仕方がございません。乳母は、その子を連れて自分の村へ帰りましたが、折悪しくその家が官軍の宿になっておりましたそうで、「その子はお前の子ではあるまい」といわれた時は、生きた心地もなかったと、あとで申しました。
それから、子供についておりました護刀は床下に埋めて、ヤッと隠したそうでございました。
乳母としては、一生懸命に可愛がった赤ん坊を危険な目に遭わせたくないと言う心づもりがあったらしいことが読み取れる。
ここに、「あとで申しました」とのことなので、その後消息が判明した事もわかる。更に、ウエイブで、「山川二葉」の項を確認すれば、景清が以下のように紹介されているのを見る。
会津藩家老梶原平馬と結婚したが、短期間で別れ、一子景清は二葉が養育した。景清は海軍軍医として、呉海軍工廠軍医長などを務めて軍医大佐となり、また創設以来の稚松会会員である。ということで、ドラマで心配したニ葉さんの子供は、無事だったという事。どうでもいいかな。