地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」~ 第28話「自慢の娘」③

 「会津戊辰戦争」が、25日山上よりの砲撃に対し、「急遽砲を豊岡東照権現堂附近及び三の丸に出して之と応戦す」とし、その後の三方からの砲撃に対して、「東軍砲兵毫も屈せず、士気益々振ひ、活気横溢、其の気、天を貫くの概あり、砲術師川崎壮之助、時に豊岡にあり、性沈毅能く衆を督して戦ふ、山本八重子、曩(さき)に兄覚馬に就て砲術を練習し、其の技に長ず、終始男子に伍して、奮闘甚だ務む」と紹介するのを確認する。
 更に、9月14日午前8時の総攻撃に関わって、次の紹介も確認する。
 これ(9月14日午前8時の総攻撃)に対し、城中砲兵陣地を依然豊岡に置き、護衛隊の援護の下に奮闘して小田山山上の敵砲と相対す。此の時砲術師川崎荘(尚)之助克(よ)く戦ひ、山本八重子亦之を助け、一時小田山上の敵砲を沈黙せしめたるも、他方面の砲火の威力は、(以下略)、
ということで、ドラマでは、豊岡神社で大砲の扱いに長けた八重の夫である川崎尚之助が、八重の協力のもとで奮戦する様子が描かれるが、これが実話に近いらしいということの確認をした。

 「戊辰戦争」に、八重が籠城中子供はタコを揚げて等々無邪気に遊んでいる様子が証言される。ドラマでもこの凧あげで遊ぶ子供の様子が描かれる。
 ただ、焼玉がくると、争って拾っておにぎりと交換してもらって喜んでいた事にもふれている。総攻撃では「頭上で爆裂するかと思ふと、脚下に砂塵を揚げる、瓦は落つる、石は跳ぶ、城中は全然で濛々たる硝煙で殆ど噎(むせ)ぶような有様」でも、子供達は、「このような状況でも、誰一人躊躇う者もなく、子供らも濡れ莚を手に消火し、手伝いに走り回っていたという。

 今回の震災では、大人達は冷静沈着な行動が賞賛された。
 その視点に立てば、籠城戦という異常事態のさ中、大人達が籠城する子供達の存在意義をどうとらえ、どう扱ったかという事とかかわる大切な証言だと思う。そういう視点で読み取ると、大人達は、籠城中の子供達に無邪気に遊べるように環境を設定したということであり、それでも、それは苦労などではなく、子どもたちも結構籠城戦の一助になっていたという見え方だったということのようだ。
 その子供の側から無邪気な凧上げの様子を大山捨松が証言する資料があるらしい。
 この方、旧姓は山川で、幼名はさき(のち咲子)。ドラマの登場人物とのかかわりでは、彼岸獅子入城の山川大蔵がこの方の長兄で父親がわりだったとか。
 籠城時は数え8歳だが、負傷兵の手当や炊き出しなどを手伝っている。女たちは城内に着弾した焼玉の不発弾に一斉に駆け寄り、これに濡れた布団をかぶせて炸裂を防ぐ「焼玉押さえ」という危険な作業をしていたが、このさきさんもこれも手伝って大怪我をしているとか。直ぐそばで大蔵の妻が重傷を負って落命するのは、ドラマでも描かれた。

 「会津戊辰戦史」で山川健次郎が描く籠城戦の婦人たちも、同じような視点で証言される。
 これら婦人らの活躍を、照姫のリーダーシップのたまものとして以下のように紹介する。
 「守城以来、屡に落下し来りし焼弾は径六寸許(ばかり)の円弾に孔あり。此より火を噴出して殿屋を焼かんとして、水を注ぐも消滅せず、是に於て、衣類を以て之を覆ひて水を注げば忽ち消滅す。奥殿に仕へし老女伊藤牧野以下の侍女力を尽して綿衣或は蒲団の綿を出し、毎に之を水中に湿し、此の弾の落下する時は、婦人等馳せ集りて之を覆ひて消滅せしむるを常とし、危険を感ぜざるに至れり」
 この「婦人ら」の「ら」には子供達も含まれる。
 自慢の娘とのかかわりでは、「衣類を以て之を覆ひて水を注げば忽ち消滅すための衣類・蒲団の準備」は、確かに奥殿に仕へし侍女が力を尽すのだと思うが、ドラマが描くように、この方法に八重が関与したでろうことは想像に難くない。このかかわりが「自慢の娘」その②ということだろうか。

 なお、この時に、城にその大砲を雨霰のように撃ち込んでいたのは、薩摩砲兵隊長大山弥助(巌)。ドラマで印象的なのは、八重の砲弾を受けて負傷してしまうというかかわりの方だが、当時8歳のさきさんは、将来この方に嫁ぐことになるというのは有名な話かな。
by shingen1948 | 2013-07-20 07:06 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)