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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」~ 第28話「自慢の娘」②

 小田山の西軍砲撃跡に立つ案内板の会津軍の反撃、「会津軍も急遽砲を豊岡東照権現堂の付近及び三の丸に出して応戦し、一時は小田山上の砲門を沈黙させたといいます」という事が、「会津戊辰戦史」を確認すれば、八重やその夫である川崎の活躍らしいことが分かる。これが、「自慢の娘」の一つかな。
 「会津戊辰戦史」によると、デジタル版本文では、三の丸及び搦手に砲を置きこれと闘うとするが、ここ天神口から四斤砲を連射して応戦したということのようだ。
 26日に、会津藩も小田山の砲陣と約900メートル離れた三ノ丸南の豊岡神社・延寿寺付近に大砲を据えて応戦しているらしい。
 ドラマでは、ここ豊岡神社において、大砲の扱いに長けた八重の夫である川崎尚之助が、八重の協力のもとで奮戦が描かれるが、これが実話に近いらしい。
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 散策ができるまでに位置情報を確認しないと気が済まないところがあるの性癖。
 図書館に掲示される城下地図をもとに確認する。
 この絵図では、雑木林の中に「豊岡神社」が明記される。東照宮は明記されるが、「延寿寺」が明記されない。別地図で確認すると、東照宮の南側に熊野神社があって、その南が「200石:天台宗延寿寺」だったらしい。この延寿寺付近、豊岡神社附近を確認して、赤で囲ってみた。
 よく来ていた頃は、ここは原っぱだったように記憶する。
 この三ノ丸南の豊岡神社・延寿寺付近は、個人的には苦い思い出もあるところだ。元々は、天神橋からここには自由に通り抜けられていたのだが、いつの間にかここが進入禁止になりたての頃の話。帰省して、懐かしくなって、この思い出の道筋を50ccバイクで入ってしまったのだ。それで、練習の取り締まりをしていた2人の警察に捕まって、罰金を取られたことがあるのだ。どうでもいい話だが、それ以来ここには近づいていないという個人的には大きな話。現況がどうなっているかは分からない。

 まだ確認していないが、「会津戊辰戦史」には「東軍砲兵毫も屈せず、士気益々振ひ、活気横溢、其の気、天を貫くの概あり、砲術師川崎壮之助、時に豊岡にあり、性沈毅能く衆を督して戦ふ、山本八重子、曩(さき)に兄覚馬に就て砲術を練習し、其の技に長ず、終始男子に伍して、奮闘甚だ務む」と記されるとか。
 27日には、「大砲隊士戸枝榮五郎、鯨岡平太郎及び川崎尚之助等野戦四斤砲を南門外、天神口に装置して、小田山を迎撃す。西軍大に苦しむ」とのこと。
 この日の会津藩の砲撃が、小田山の敵陣へ正確に届き、西軍を苦しめたことがうかがえる。これが先の案内板の解説「一時は小田山上の砲門を沈黙させたといいます」と重なる。

 「会津戊辰戦史」本文で確認できるのは、この後、朱雀三番寄合組が小田山に登って戦闘を展開するが、小田山を奪還することはできなかったということ。会津藩士木本内蔵之丞は、隊士58人を引き連れて小田山に進撃するが、内蔵之丞は負傷して、それがもとで29日には、城中で亡くなっている。

 ついでに、先に確認した八重の入城にかかわる位置情報も記す。三の丸南門附近の現況は、市民プールのはず。
by shingen1948 | 2013-07-19 06:46 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)