地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」~第27話「包囲網を突破せよ」③

 今話で最も目を引くのは、会津の名物行事・彼岸獅子を先頭に華麗に入城する大蔵かな。
 子供のころ、彼岸獅子に出会うと、どこまでもそれを追いかけていったものだが、この小松の彼岸獅子の山川大蔵隊の華麗な入城の先頭を務めた話は子供の頃から聞かされてきた。
 「会津戊辰戦争」によれば、それは「時に26日なり」とのことで、籠城戦3日目の話。
  (城内の兵が少ないことを憂いて)この日(25日)に、日光口(南会津町田島)にいた家老山川大蔵に使者を出した。(兵が少なくて)城中の守備極めて薄弱なるを以て、可成途上(なるべくとちゅう) 戦闘を避けて速かに帰城すべしと。大蔵は、直ちに兵を収めて本郷に至る。
 そして、敵兵と見誤らないように、斥候を城に送って、その意を城中に知らせた後、彼岸獅子を利用した入城となる。
 太鼓横笛を集め、若松地方に於いて盛んに行われる彼岸獅子の囃子を合奏せしめて、飯寺村より川原町、米代一町目を経て歩武堂々棟門より城に入る。城兵歓喜して之を迎ふ、西軍亦鼓聲を怪しみ避けて戦わず、これに至り各方面より城に入るものを合して千数百人に達す。城中勢大に振ふ。
a0087378_923829.jpg 散策を意識するのが常なので、位置情報が気になる。
 図書館に掲示された地図情報をお借りする。多分、某銀行の配布だとの情報がある地図だと思うが、……。山川大蔵隊の入城ラインは、緑線でイメージする。
 「飯寺村より川原町、米代一町目を経て歩武堂々棟門より城に入る」ということなので、地図と照らし合わせると、本郷から大川を越えて飯寺村に入るいわゆる日光街道を河原町まで進んで、河原町から湯川を渡って、中河原町にあった河原町口から郭内に入ったと思う。その後のラインだ。
 そのまま米代一町目の通りを進み、割場脇を通って西大手門から入城したというルートになるかな。
 老兵、婦女子、少数の予備隊で持ちこたえていた籠城戦が、3日目にしてようやく指揮系統だった体制として整うというという意義がある。

 ついでに、中野竹子とのかかわりで、中野家の会津での拠り所が、田母神邸(300石)は、城から5件目かな。現況では、若松商業高の北校舎西端付近かな。
 ご近所の高木さんちと日向さんちもプロットしておく。八重んちは、丁度切れたあたりかな。
 その八重の入城は、水色ライン経由で三の丸の南門入城。その入城を促す非常時の鐘が鳴らされたのが、割場の火見櫓。不確かな別情報によれば、この時代、石の土台に改良されたたために、板張りが外されて、共鳴による音の増幅がなくなって、響きが悪かったとも。
 八重は、入城後、西軍が陥落を狙う北大手門を守るために、北出丸から射撃に向かうのかな。その狙う方向が、西郷邸附近。
by shingen1948 | 2013-07-13 09:04 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)