地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」~第26話「八重、決戦のとき」④

 北出丸の八重の活躍を記すのは、「会津戊辰戦争」の著者である平石弁蔵氏との情報があるので、その「会津戊辰戦争」を確認するが、ここにはその記述はなさそう。ただ、その北出丸の激戦の様子は「北大手門の戦」として紹介されている。
a0087378_754129.jpg 「此の時、薩の中村半次郎、土の笠原謙吉各一隊を率いて、城北10余町の甲賀町口の郭門に突貫す」とし、その後、(西軍は、)援軍を得て、会津の守備を乗り越え、勢いに乗じて甲賀町通りをばく進して、北出大手門を突破しようとして、「桜馬場の小堤及び西郷頼母、内藤介右衛門邸の土塀に拠りて猛射す」る。
 又一方、日新館方面よりも城門にせまりしが、城中の老幼是(これ)を見、大手門上より之を敢射(かんしゃ)す」

 割場の鐘が打ち鳴らされたのは、この時だったのだろうか。次のように紹介が続く。
 「農兵あり、城側の望火楼に登り戦況を観望し居たりしが、俄然警鐘を乱打す」とある。「この時までに於ける西軍の進入は殆んど全市街に亘り、当面の外大町融通寺町桂林寺町通りより郭内一圓に及び、戦闘各方面に起こり、その死傷挙げて数ふべからず」ということだ。
 そういう状況の中、八重は入城するのだが、入城するやいなやスペンサー銃をもって、その北出大手門の守備について、狙撃を始めたということのようだ。ドラマに描かれていたのはその様子ということのようだ。

 この日、台風の影響で雨という天侯で、旧式洋式銃や火縄銃は城外では役立たなかったのだが、若松城には狙撃用の窓があって、ここからは効果的な狙撃ができたということらしい。そこにやってきた八重は、スペンサー銃で、正確な狙撃をするということで、土佐藩は苦しみ後退を余儀なくされる。
 そこに、後続部隊の薩摩隊が到着し、攻めあぐねていた土佐に変わり、大山巌が、当然火縄銃の届かない安全圏内に大砲を配置、砲撃開始するが、大山は右大腿部を貫かれて砲撃が止む。
 この大山の右大腿部を狙撃したのが八重とされるのは、飛距離とのかかわりで、ここに届く銃は、八重のスペンサー銃以外ないという状況からの推定らしいが、それ以外は考えようがないのだろうと思う。

 資料からは、ドラマのように、夫川崎尚之助の大砲設置とのからみは読みとれないが、八重が中心になって皆で、城壁である土塀下の石垣を押し出して、そこに大砲を突っ込み、その空いた穴から西軍に砲撃したというのは実話に近いらしい。
 石田氏によると、この大砲は、城内に一門あった新式の四斤山砲と推測されるらしい。木の導火線を使用した爆裂弾で威力があったとか。

 今までは、第26話「八重、決戦のとき」のあたりは、西軍の急襲による混乱と悲劇という視点で描かれることが多かった。
 それを、八重を主人公とする今回の大河では、国境から正規の守備隊に着くべき方々が戻って籠城の体制が整うまでの一日間を、城の防御上の構造に助けられながらも、老兵と女子供達で守り抜いたという視点に変化させたということでもあると思う。
by shingen1948 | 2013-07-08 07:05 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)