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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」~第26話「八重、決戦のとき」③

 先の整理で、川村隊が無傷だから他の隊よりも速く十六橋まで進めたとした。この事について「会津戊辰戦争(平石弁蔵)」では、川村隊が母成でで全く戦わずに無傷の隊であることについてふれ、東軍の背を衝くべきを約束したが、道を失して戦機を逸したとしている。だから、その失敗の償いのために昼夜十六橋に疾驅したとするようだ。これが、タイミング良く東軍が橋を断ち今最後の一石を除けば橋全てが落ちようとした危機一髪の時だったというのだ。ここで、急きょ一斉に砲火を開き撃穣し、猛烈疾風の如く橋上を突進したとする。
 八重が戦闘員として重要な活躍をしているのを知ったのは、このドラマとのかかわりだが、この「会津戊辰戦争」では八重をどう扱うのかを確認し、以下の紹介をみつけた。
 当時婦女子の武芸は薙刀太刀なりしが、山本覚馬妹八重の如きは兄に就き砲術を練習し、籠城中は髪を断って男子に伍し城上より西軍を拒ぎ、進撃に際しては、○かに之に従い奮闘せり。
 あまり知られていなかったのは、想定される戦闘時の女子の活躍想定の枠組みから外れているという事だろうことが伺える。
 期待される女子の活躍の一つは看護や炊事だが、それではない。戦う女子の場合の活躍は戦う武器が薙刀太刀でであるということで、そこからもはみ出す。それどころか、会津武士としては、誰も手にしたことがない(意識したこともない)最新式銃での活躍というはみ出しぶりということだろう。
 自分にとっての新鮮さがもう一つある。
 それは追い詰められた時に潔く自刃するのではなく、結果的にどうなるかということとは別に、生き抜くために戦い抜く姿かな。
「会津戊辰戦争(会津戊辰戦史編纂会)」P625での八重の紹介は次のようだ。
 川崎尚之助の妻八重子は山本覚馬の妹なり、圍城中に在り髪を断ち男子の軍装を為し銃を執って城壁又城楼より廔々(ろうろう) 敵を斃(たお)せり、覚馬は西洋砲術を以て名あり、八重子は平生之を兄に学びて練修し萬一の用意を為せしなり、或人婦人の戦いに参するを諌めたるも八重子聴かず、進撃ある毎に必ず、窃(ひそか)に隊後に加はれり、
 「川崎尚之助の妻」とある。川崎氏も今までいろいろな言われようがあったようだが、ちゃんと表記されている。

 その八重の入場にかかわる「男装して会津城に入りたる当時の苦心」が県立図書館に展示されるが、撮影禁だとか。そこには、よく見かける写真と共に、8月23日に割場の鐘が激しく打ち鳴らされて、八重は城に入る決意の様子が記される。
 「着物も袴も総て男装して、麻の草履を穿き、両刀を佩(はさ)んで、元籠(もとご)め七連発銃を肩に担いでまいりました」。
 昔は声をかけるとだいたい撮影可だったが、最近はどこも撮影禁の表示が一般的になってきたな。
 

 どうでもいいことだが、散策を楽しみとする者として気になっているのが、八重の入城門。概ね埋門から三の丸入城をイメージするようだが、一部に南門からの入城をイメージするものをみる。
 この三の丸の門は埋門・南門、そして不明口があるようだが、不明口は不淨門とのことなので、ここからの入場はないはずだが、南門からの可能性もあるのではとも思うが、どうでもいいかな。
by shingen1948 | 2013-07-07 07:25 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)