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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」~第26話「八重、決戦のとき」②

a0087378_1005115.jpg 母成峠を突破した先鋒隊は、22日には十六橋にたどり着く。その到着の速さと対応の遅さが話題になる。
 その速さの原因の一つが、猪苗代城からの反撃が無かったということが挙げられる。
 防御拠点で反撃のあるべき猪苗代城がもぬけの殻だったことだ。これは、猪苗代城を守るべき兵士は母成峠などの国境警備に出払っていて、その母成峠が突破されたという情報を得た城代高橋権太輔が、城に火を放って若松城へ退いていたということだ。要は人手不足かな。

 もう一つが、母成峠を突破した新政府軍は猪苗代城で、待機して援軍を待つ事にしたのだが、川村隊だけは夜を徹して十六橋に向かったとある。
 今回、母成峠の戦いを確認してみると、そうなる事情が分かったような気がしている。といのは、この川村隊は母成では全く戦っていないのではないかと思うのだ。無傷の隊らしい事に気づいたのだ。
 この隊は、母成峠の山々の南側に沿って、猪苗代まで抜けている隊のはずだ。玉井から山入村を経由して石筵に入ったこの隊は、その第一台場手前の萩岡の手前から、さっと達沢口へ抜けていると思われるのだ。
 この道筋は、萱峠が大軍を率いて抜けられるはずがないという想定で、守備していないらしいのだが、気になるのは、そんな道筋を西軍がなぜ知っていたかということだ。
 もう一度、見慣れた資料である半沢氏の歴史地図を見直せば、「西軍侵攻、翌22日十六橋を攻略」「会津軍石筵の集落を焼いて退却」のメモに→で、「石筵住民西軍の道案内、大鳥圭介の本陣も焼く」のメモを重ねる。つまり、会津軍は、住民の立場を考慮することなく、撤退時に集落を焼く。多分武士階級にとっては常套手段なのだろうと思う。
 しかし、焼かれた住民は、その対抗勢力である西軍にこれ等の道筋を喜んで案内したという事なのではないかと思うのだ。
 専門とする方は、余り語る事は無いのだが、散策をつないでいくと、住民の立場を考慮することなく集落を焼いて撤退したことが、この道案内につながっていると思うのだ。結果的には川村隊だけは夜を徹して十六橋に向かえた状況を生みだしたその原因は、この集落を焼いて撤退する行為だったのではないかなと思うのだ。
 ならば、体制を整えるゆとりなく十六橋が落ちるという結果につながったのは、住民の立場を考慮することなく集落を焼いて撤退した行為の報いという側面もあるかなと勝手に思っている。
by shingen1948 | 2013-07-06 10:08 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)