地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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自民党高市政調会長発言について

 自民党の高市早苗政調会長が6月17日(月)の神戸市での講演での発言が、問題になったようだが、この地で一歩引いてその発言に感じる違和感を確認すると、そこには幾つかの観点があるらしいことが見える。
 言われていることの一つが、東京の電力会社が福島に設置する第1原発事故に関する認識であり、もう一つが、それを原発再稼働に結びつけるという論理的な違和感だろうか。
 このうちの東京電力原発事故にかかわる認識批判の方は鎮静化しているのは、復興庁の参事官が、中傷を書き込んで停職30日の処分を受けた情報と重なったためらしい。
 ただ、復興庁の参事官の方の発言は批判の対象としては分かりやすいが、大勢に影響を及ぼす問題ではなさそうだとも思う。
 それに対し、この政調会長の発言は、公にはオブラートに包まれている中枢の本音が表出されているという性格のものらしいことは素人にも分かる。その意味では、先にはこの方の靖国をめぐる発言が某政党の党首発言にかき消されているが、これだって中枢の本音だろうという思いもある。

 高市早苗政調会長の発言には、言われている違和感とは別に漠然とした感性的な違和感を感じていたのだが、それが何なのか整理できないでいた。それが、このこととかかわって整理できそうな気がしている。

 今、福島に住む者が感じたあの時の危機感を思い出せば、その危機感は、自らの生命の危機を越えていたのではないかと思っている。もっと深く、人類滅亡にもつながる危機感だったのではないかと思えてきているのだ。この感覚を、自分なりに説明してみる。
 まずは、我々は自然という環境の中で生かされている存在であるという観点に立つ。
 その自然という環境は、我々が生きるという活動のために破壊されるのだが、その破壊された自然環境にも回復力があって、その回復された自然環境によって、また我々は生きるという活動が保障される。そんな感じを前提にする。
 そこで、我々が生かされ続けるために考えなければならないのは、その破壊された自然環境の回復のスピードと調和関係を保つ事が要求されているしいうことなのだが、あの時の危機感は、それが崩れているという実感と結びついたような気がしている。

 この調和を目指すには、経済のスピードを落とさざるを得ないということになりそうなのだが、その為に我々の生活の質を落とすというわけにもいかないという観点もあるわけだ。それで、被災者は政調会長というお立場の方には、それをどう調和させなければならないのかを熟慮できる方を求めているということでもあるのかな。
 そんな中で、氏の「原子力発電所は確かに廃炉まで考えると莫大(ばくだい)なお金がかかる。稼働している間のコストは比較的安い。これまで事故は起きたが、東日本大震災で止まってしまった悲惨な爆発事故を起こした福島原発を含めて、それによって死亡者が出ている状況にもない。そうすると、やはり最大限の安全性を確保しながら活用するしかないだろうというのが現況だ(朝日新聞)」との論を耳にしているという状況だ。

 自らの思いを表出する事をよしとしない地域で生活し、人を批判することなど勇気がいるのだが、あえていう。失礼な言い方だが、この方にはそんな感性を持ち合わせていらっしゃるとは思われない。頑として経済のスピードは落とせないという前提にたった立場で突っ走しろうとする危うさを感じるといったところかな。
by shingen1948 | 2013-06-24 09:16 | ☆ 地域・自治話題 | Comments(0)