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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」~第23話「会津を救え」③

 第23話「会津を救え」で、仙台藩士らによる鎮撫軍参謀世良の暗殺場面の放映に伴って、世良の「官修墳墓」が改修されたとことで出かけてみた。その改修された「官修墳墓」の説明の続きに、後方の二つの石灯籠と霊神碑の後方の歌碑について、以下のように解説される。
 後方の二つの石灯籠は、右が橘正風、左が橘正郎が建立したと伝えられている。この二人は、世良が殺害された後、同じく仙台藩士によって斬られた長州藩士野村十郎の兄弟にあたり、世良と同じ奇兵隊の出身者である。
 また、霊神碑の後ろの歌碑は橘正風(山城屋和助)が建立したものと伝えられ、弟を亡くした兄の気持ちが偲ばれる。
 「しのぶれば その五月雨の夕まぐれ なみだの川のなみならぬかな」
 この解説は、最初の霊神碑には、この時犠牲になった6名の名が刻まれたという事情が分かっているということを前提としている。その6名の方の犠牲になる時間的経緯が分かりやすく確認できるのは、「福島藩就封300年~譜代大名板倉氏の治績【太田隆夫著】」かな。
 〇 4月19日夕方、世良は、白河の督戦から戻る。仙台藩兵数人が世良修三の寝床を襲われるのが、日付はかわるがその晩20日午前2時。従者の勝見善太郎と共に客自軒に引き立てられ、その後阿武隈川へ連行し斬首。
 〇 20日夕方には、世良従者の松野儀助と小者繁蔵が何も知らずに金沢屋に戻ってきて、仙台藩兵に摑まり、立花屋北の堀で斬られる。
 〇 翌21日午後1時過ぎに、白河から戻った醍醐忠敬と長州藩士野村十郎は、城下入り口で、仙台藩士に下馬を命じられたが、無視したために仙台藩士平田小四郎に背後から斬殺される。
 〇 更に、22日夕方には、足の負傷で遅れて駕籠で戻る長州藩士中村小次郎が、阿弥陀堂前で、護衛の仙台藩士岡崎堅介、栗村五郎七郎に斬殺される。

 この慰霊碑については、「庄内藩鎮圧にあたった長州藩が、帰途に際し、上町稲荷神社本殿裏に世良修三と共に犠牲となった6人を供養する碑を建てました」と記される。
 各情報を組み合わせてみれば、現在は名が刻まれているのは4名だが、当初は「6人を供養する碑」だったらしい事が想像できる。

 その抜けた2名の墓碑については、「市内小倉町の宝林寺には、中村小次郎と野村十郎の墓碑があって、戊辰戦争の状況を語り伝えています」と、さらりと現況を記す。多分、これがイチョウの木のある寺だと思う。ここには、別情報で、紀州 山口忠右衛門安正の墓情報もみえる。
 事情は分からないのだが、大正5年に野村の墓と碑は別の場所に移転したことに伴い建て替えられるという情報と重ねると、現況と矛盾ない風景にはなるのかな。ただ、橘正風(山城屋和助)を確認すれば、これもいろいろあるようで、福島藩を我が殿という見え方に沿った風景とはなりにくいのかなとも思う。
by shingen1948 | 2013-06-14 07:10 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)