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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」~第23話「会津を救え」

 第22話「弟のかたき」で、この頃、会津に米沢藩士が数人駐在していて、援軍を出すための情報収集などをしていたという新しい情報についてふれた。ドラマの今話では、その中の山本家には米沢藩士の内藤新一郎と蔵田熊之助が寄宿していて、藩校教授だった川崎尚之助の弟子になっていたという新しい情報が、早速取り入れられている。
 この内藤らは、戦いの当日の早朝に会津の戦況を伝えるため、山本家で急いで朝食を済ませて米沢に出発するらしい。

 今話の中心は、結果を知っている者の目には、奥羽鎮撫軍と称する西軍と奥羽越列藩とが戦争に向かって進んでいく過程ということになるのかな。しかし、この時の奥羽の各藩の思いは、戦を避けることである。懸命にその道を模索していくが、それが許されなかったということでもある。
 奥羽鎮撫軍と称する西軍側にしても、その主眼が会津藩と庄内藩の討伐であり、奥羽鎮撫軍の冠をちらつかせれば、奥羽の各藩は、自ら会津藩と庄内藩を討伐するだろうという仮説に基づいた作戦らしい。それなら、西軍側にとっても、この戦争の拡大は誤算かなとも思う。

 奥羽の各藩の願いに話を戻せば、それは穏便な歴史の推移ということだ。
 奥羽の代表格である仙台藩と米沢藩が、奥羽鎮撫軍と称する西軍に、会津藩と庄内藩救済をお願いして丸く収めようとした。 
 少しきれいごと風にまとめれば、奥羽各藩としては、奥羽鎮撫軍と称する西軍(薩長軍)に協力して親しい会津・庄内を攻めることには、まだ躊躇があって、藩の公式な態度を決めかねていたということだろうか。その大勢が整うのは、建前としては奥羽の名誉のために東北が力を合わせる和平論であり、その本音としては、戦争回避で穏便に事を収めたいという思い。そのための具体策が会津津救済の嘆願だろう。
 これが、鎮撫軍参謀世良によって破棄され、怒った仙台藩士らが世良を暗殺する。
 これがきっかけとなって奥羽列藩の同盟が成立し、後に越後・長岡藩など六藩も加わって奥羽越列藩同盟となり、戊辰東北戦争という事態をもたらしたということだ。

 ドラマでは、その状況を簡潔に描いていたように思う。
 ただ、その元凶は、世良修蔵という悪辣な長州人一人の責任と決めつけていいのかどうかは分からない。
 奥羽鎮撫軍の冠をちらつかせれば、奥羽の各藩は、自ら会津藩と庄内藩を討伐するだろという仮説に基づく作戦は、世良個人の主眼ではない。奥羽鎮撫軍の方針だ。そんな鎮撫軍参謀という役割を引き受けることができるのは、下劣な成り上がり者とされる世良ぐらいだったということでもあるような気もする。

 ドラマの概要については、エキサイト「大河ドラマ 八重の桜」のページから、第23話「会津を救え」の粗筋をお借りする。
 http://tv.excite.co.jp/detail/nhk_taiga52/story_23.html
 「会津を救え」
 慶応4年(1968)3月、新政府軍が仙台に到着。参謀の世良修蔵(小沢仁志)らは伊達藩に会津討伐の命を下す。しかし、理不尽さを感じずにはいられない伊達藩は米沢など奥羽の他藩と結束し、会津救済の嘆願書を提出する。知らせは会津へも届き、八重(綾瀬はるか)たちは安堵する。しかし、嘆願はあえなく世良によって破棄され、これに怒った仙台藩士らが世良を暗殺。新政府軍と会津・奥羽軍との間で戦いの火蓋が切られる。

by shingen1948 | 2013-06-12 07:09 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)