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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」よそ見編Ⅳの2~関連資料展と散歩情報⑥

 関連資料展の展示物「佳人之奇遇」とその作者柴四郎氏とのかかわりで、その弟である柴五郎氏を「ある明治人の記録(石光真人編著)」【中公新書】をもとに追いかけてみてみた。そして、その編著者石光真人の出身地つながりで、第五高時代の秋月悌次郎氏も追いかけていた。深追いするつもりはなかったのだが、観光案内で得た情報をもとに描いていた自分のイメージが、実像と大きくずれているような気がした。それが気になって、追いかけ直している途中だった。
 今回は、小泉八雲とのかかわりを確認してみる。
 会津人物伝でのページでは、秋月氏は、「幕末の会津藩を支えた公用人:【秋月 胤永<かずひさ>(通称・悌次郎)】(1824~1900)」と紹介される。
 その五高時代は、「新たな人生」の項で以下のように紹介されている。
 胤永は、戦争責任を問われ終身禁固刑となります。5年後に特赦され、東京大学や熊本の第五高校などに勤め、小泉八雲とも親交を温めています。明治33年、77歳で波乱の生涯を終えました。
 「八重の桜」で歴史上の有名人とのかかわり合いを通して、覚馬にスポットライトを当てるという手法と同じように、小泉八雲という有名人と絡ませる。
 http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/j/rekishi/jinbutsu/jin06.htm
 「八重のふるさと福島県」のページでは、小泉八雲が、悌次郎を「神様のような人だ」と尊敬して親しくつきあったと、その絡みは強調される。
 5年後に特赦されて、東京大学予備門の教諭となり、教育界で大いに貢献することになります。明治23(1890)年、熊本第五高等中学校の教諭となり、その名講義は多くの生徒から慕われました。同校教師の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は悌次郎の高潔な人間性、深い学識にふれ、「神様のような人だ」と尊敬して親しくつきあったといわれています。
 http://www.yae-mottoshiritai.jp/seisin/akizukiteijirou.php 
 得られる情報と突き合わせれば、この情報は、中野孝次氏の「生き方の美学」と、余話として「 ある会津人のこと(司馬遼太郎)」という短編集にあるらしいことが分かる。後者は、先に休講の美談でもふれたものだ。
 こちらの確認は、散歩の途中に書店での立ち読みでも、図書館での確認でもできそうに思う。

 情報をつなぎ合わせていくと、その基になる情報があるらしいことが分かる。それが「秋月胤永先生記念録」という五高同窓会誌(昭和10年)の「秋月先生とヘルン先生」と題した壇野礼(禮)助という方の思い出らしい。この冊子は、9館が所蔵している事がわかるが、県内の図書館ではない。確認は、ここまでかな。

 いずれにしても、伝聞情報のようだ。小泉八雲氏が話したという直接的な情報ではなさそう。プラス志向情報なので伝聞情報でもよいのだが、直接的な情報はないのかなとも思う。
by shingen1948 | 2013-05-29 06:51 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)