地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」よそ見編Ⅳの2~柴五郎氏の生家跡の位置情報修正②

 「ある明治人の記録(石光真人編著)」が「居住地三ノの丁の邸」と表現する「柴五郎氏の生家跡」は「城下地図」にも表記されていて、現地近くには案内板も建っているので、その位置はおおよその見当がつく。
 しかし、「のちに歩兵29連隊の営内となる」会津戦争とのかかわりで柴氏の思いの深い「まもなく本二ノ丁に移」った邸の情報は少ない。
 以下の情報を手掛かりに、その位置情報を膨らませて見る。
 ここはのちに歩兵29連隊の営内となり、わが家族自刃せる部屋跡には土壇を築きて保存され、のちに余自身ここにヒマラヤ杉を植えて冥福を祈れり。
 会津にかかわりを持っていた頃には、公営住宅地だったが、現況は第二中学校地ということらしい。「城下地図」を重ねれば、中心となるのは校舎付近が「千八百石 田中土佐」邸のようで、その附近の邸と目星をつける。
 土壇を築きて保存され、ヒマラヤ杉も植えることのできる位置は、敷地縁だろうから、その中で目星をつければ、南側の桜井邸から日向邸にかけてか、西側の上田邸から現税務署の菅野邸附近、あるいは、現校地の野村邸から遠山邸附近とも、……。
 最近「営門から少し入った附近」という情報を目にした。これをもとにすれば、この中の「800石 上田八郎右衛門」邸の可能性が高いかなと思えてくる。

 もし、ここが「居住地本二ノ丁の邸」なら、西郷頼母・萱野権兵衛邸の近隣の一角ということになる。
 西郷頼母氏の母家族の悲劇や萱野権兵衛氏の悲劇は、観光的にも有名な話。
 その西郷頼母氏の母家族の悲劇は、「八重の桜」のドラマでは、展開からは謹慎とのかかわりを描こうとしているように見える。しかし、その北東角の柴家では「祖母、母、姉妹ら5人は「非戦闘員の女の籠城(ろうじょう)は兵糧を浪費する」と自刃し、「男子は生き延びて会津の汚名を天下にそそぐべし」と10歳の五郎少年を逃がしたという判断をしているということになる。
 更には、会津戦の折、この一角のご近所、間瀬家・赤羽家の家族が、籠城を決意した様子は、先に整理している。これは、会津に関わった頃の近所のおばさんとのかかわりで整理したものだが、これが頼母邸北側の二家の決断ということになる。
 「八重の桜」のドラマ視聴にかかわって、会津戦におけるこのご近所一角の家族の決断が、少し見えたということでもあるようだ。
by shingen1948 | 2013-05-27 07:21 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)