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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」よそ見編Ⅳの2~関連資料展と散歩情報

 情報をもとに位置情報を確認して、これを頭に置いて次の散歩の機会を伺う。これは、習性のようなもの。
 この時に、普段はどうでもいいことなのに、ちょっと困ってしまうということが起きることがある。柴四郎氏、五郎氏の生家の位置情報にかかわる混乱もその中の一つ。
 柴四郎氏、五郎氏の生家の位置情報とするのに、「会津若松いまむかし城下地図」の「280石柴太一郎」宅を確認する。ここが、その生家だと思うからだ。
 柴一族にかかわる各情報からは、柴太一郎氏は、柴佐多蔵(榮由道)の長男と読み取れる。また、別情報で、柴五郎氏は会津藩士280石の柴佐多蔵の五男とのことで、その親が重なる。その実家を継いでいるのが、太一郎氏のはずという推測だ。ついでに柴一家を確認すると、柴佐多蔵の次男は分からないが、三男が五三郎氏、そして、四男が今回展示されている「佳人之奇遇」の作者四郎氏で、他に女子6人という兄弟関係らしい。

 位置情報の混乱に話を戻す。
 「つばくろ児童公園」に柴五郎氏の生家案内板が建っているらしい。ところが、地図を確認すると「280石 柴太一郎」宅は、その北側に相当するのではないかと読み取れるのだ。
 また、情報には、「同市のかつて兵営があったところに柴の生家跡をしめす石碑がある」というのもある。
 「同市のかつて兵営があったところ」を先に確認すれば、以下のようなところかな。
 同市のかつて兵営があったところ = 日露戦争後の明治41年に設置された歩兵第65連隊の地 = 大正14年軍縮で連隊廃止に伴い、仙台から移駐された歩兵第29連隊の地(昭和6年には歩兵第29連隊は満州に移駐するが、昭和12年日中戦争勃発でここに歩兵第65連隊が再編成される)
 第29連隊遺跡でもあり、第29連隊遺跡でもあるので、一般的に「若松連隊」と呼称するらしい。
 ここは、位置的には「つばくろ児童公園」の西側。
 更に情報を追うと、「(柴五郎氏が)大正6年には若松連隊の敷地内に、家族殉難の地としてヒマラヤ杉を植え、囲い石には「柴家邸宅之跡」「遺児 陸軍中将 柴五郎」と刻んでいる」という情報に出会う。
 「ある明治人の記録(石光真人編著)」【中公新書】にかかわって、次の情報があり、この情報と重ねれば、こちらは柴五郎氏が建てた「家族の慰霊碑」という性格のものだろうと推測できそう。
 
(柴五郎氏は)10歳で戊辰戦争に遭い、祖母、母、姉妹ら5人は『非戦闘員の女の籠城(ろうじょう)は兵糧を浪費する』と自刃する。一方では『男子は生き延びて会津の汚名を天下にそそぐべし』と五郎少年を逃がす。会津藩士は極寒の青森県下北半島に藩ごと流され、餓死者を出しつつ原野開拓を続けた。
 柴五郎氏の生家の位置だが、自分の想像に自信を持てばということではあるが、次の確認でどうかなと思う。
 「つばくろ児童公園」に柴五郎氏の生家案内板が建つとのことなので、そこから北側を見る。その風景から、道路を基準にして東西には一区画分、北側には道二つ分を囲った範囲のやや内側辺りと目算をつけて、それを囲う道筋を歩いてみれば、そのイメージがつかめるのかなと思う。
by shingen1948 | 2013-05-13 06:14 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)