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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」よそ見編Ⅳの2~関連資料展②

 大河ドラマの関連資料展の主な展示物「佳人之奇遇」は、「会津城中列婦和歌ヲ残スノ図」の挿絵のあるページ部分が開かれて展示される。
 頂いた資料では、この挿絵は小柴英という方の石版画で、慶応4年(1868)に山本八重が若松城三の丸南側の臓物蔵の白壁に「明日よりはいつくの人かなかむらん なれし大城にのこる月影」と和歌を笄で記す場面と紹介される。
 この挿絵は、野口信一氏の講演会資料にも紹介される。こちでは、その和歌を「明日の夜は いずこの誰か 眺むらむ なれしお城に 残す月影」と紹介される。

 実は、展覧会の時点で「旧会藩士戦死名簿・貫属士族名簿」の資料価値は分かったのだが、この小説の資料価値を理解できていなかった。
 まず頭に浮かぶのは、「小説=フィクション」ということ。「会津出身の東海散士(柴四朗1852-1922)によって著された…」とか、「明治ナショナリズムを代表する文学作品で、当時の青年たちに広く読まれました」とかということでは理解に結びつかなかった。
 それで、会津若松市のホームページを確かめて、作者柴四朗氏の経歴を知る。
 この方、実際に「日新館に学び戊辰戦争では銃をとって戦っている」方で、「福島県人初の陸軍大将柴五朗の兄」だとか。その兄の経歴と重なる部分を確かめれば、旧会津藩士柴佐多蔵の子で、「戊辰戦争で母・妹が自刃し、八歳の時斗南藩へ転封。どん底の開拓生活で一家は辛酸をなめた」ということ。それなら、作者の実体験に基づいた記述であり、必ずしも「小説=フィクション」ではないということが分かる。

 「明治ナショナリズムを代表する文学作品で、当時の青年たちに広く読まれました」とのことだが、その雰囲気は「うわづら文庫」で味わえる。全体は眺めるだけにして、挿絵のある157頁附近だけは少し読んでみる。その前頁が会津戦らしいので、そこからこの挿絵とかかわる部分を読んでみる。 http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/kajinkiguu001.pdf
 156頁の後の10行あたりから二人の婦女を紹介した後、「又一婦アリ 月明ニ乗シ笄ヲ以テ国歌ヲ城中ノ白壁ニ刻シテ曰ク」と一婦が紹介され、展示される頁に移る。
 これが八重である事は分からない。多分、描かれる一婦が八重であるということを判明する方策があるのだろうなと想像する。
 自分なりにこの小説の資料価値をどう理解するかだが、内容理解には活字本かな。それは案内資料で「新日本古典文学大系17明治編(岩波書店)」が紹介される。
 他に雰囲気理解というのがあるな。自分にとっては、こちらが大事で、それには写真がいい。「うわづら文庫」での確認がそれかな。その確認から展示される本物に意識をつなげて、実感を持ちたいということかな。
by shingen1948 | 2013-05-09 05:30 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)