地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」よそ見編Ⅳの2~関連資料展

 今、福島県歴史資料館展示室で「八重の時代の人々」という「平成25年度収蔵資料展」が開催されているらしいが、出掛けたのはこちらではない。「新公開資料展2012」をメインとした展示のミニ展示として展示されたものだ。この展示は、その前に大河ドラマの関連事業として県文化センターに展示されたものを、歴史資料館展示室に移動して展示公開されていたものだ。
 展示されていたのは、現在開催されているパンフで確認すると、「主な展示物」の「旧会藩士戦死名簿・貫属士族名簿(福島県神社庁文書553)」・「佳人之奇遇(鈴木重郎治家文書217~222)」・「山川浩書状(福島県庁文書1516)」に相当するものかと思う。

 この中で、興味深かったのは「旧会藩士戦死名簿・貫属士族名簿(福島県神社庁文書)」かな。
 今まで、戊辰戦争を中心とした会津藩関係の資料は、すべて博物館や会津若松市図書館など会津若松市にあるのかなと思っていた。しかし、一部は、福島県歴史資料館にも収蔵されているらしいことが分かったということでの興味だ。
 頂いた資料によると、「この書類は戊辰戦争が終わった明治2年(1869)に会津県の戸籍係によって会津藩関係の戦死者2634人の名を書きあげられたもので、氏名がイロハ順に整理され、戊辰戦争時の所属や続柄などが記されている」とか。
 大震災を経験したり、平常時にも関わらず年金にかかわる記載はいい加減なものだったという情報等を目にしたりすると、会津県の戸籍係が混乱時期にもかかわらず、こういった地味な仕事を地道に淡々とこなしていたことにも感心する。

 自分がみた展示にかかわって報じられたのは、以下の「戊辰戦争」戦死名簿、福島で発見 八重の父や弟の名も【福島民友(2013/1/11)】の記事。
 http://www.minyu-net.com/osusume/yae/130111/handsome2.html
a0087378_642126.jpg 会津を舞台にしたNHK大河ドラマ「八重の桜」がスタートしたが、戊辰戦争(1868~69年)で亡くなった八重の父、山本権八(ごんぱち)や弟の三郎ら会津藩関係者2634人の名前が記載された「旧会藩士戦死名簿」が10日までに、福島市の県歴史資料館で見つかった。
 名簿は、戊辰戦争が終わった69(明治2)年、当時の若松県の戸籍係が作成した。戊辰戦争で亡くなった男性2390人、女性201人、農兵43人の名前がいろは順に整理され、所属や続柄などが記載されている。名簿を発見した同資料館の渡辺智裕専門学芸員は「行政府が作った客観的で正確な名簿で、戊辰戦争を考える上での“基礎台帳”になるのではないか。また多くの女性が死んでおり、戦争の悲惨さを伝える貴重な史料」と話す。
 名簿には「玄武隊 山本権八 右同人二男 同 三郎」、一族21人が自害した家老・西郷頼母(たのも)の家は「西郷頼母 母 右同人 妻 右同人 娘 右同人 二女…」など家族だけで11人が並び、山川大蔵(おおくら)の妻、登勢の名前などもある。
 会津歴史考房主宰の野口信一さん(元会津若松市立会津図書館長)は「この名簿自体は知られていないものだ。早い時期に作成され、作成者がはっきりしているという点では、非常に珍しい」と語っている。名簿は、12日に福島市の県文化センターで開催される「八重の桜」関連事業でロビーに展示、13日からは同資料館で公開する。
 ※写真は、<八重の父、山本権八と弟の三郎の名が記載されている旧会藩士戦死名簿>部分
 頂いた資料では、「玄武隊 山本権八 右同人二男 同 三郎」にかかわって、以下のように紹介される。
 ※ 玄武隊 山本権八にかかわって
  権八は、会津玄武士中伊与田隊に所属し、同年9月17日に城南の門田一之堰の戦いで戦死しました。
 ※ 右同人二男 同 三郎にかかわって  
権八の二男である三郎は会津藩諸「書?」生組に属し、慶応4年(1868)1月5日、鳥羽・伏見の戦いに続く淀の戦闘において負傷したため船で江戸に送られ、芝にあった会津藩中屋敷で亡くなりました。

by shingen1948 | 2013-05-08 06:07 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)