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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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台畑(南矢野目)周辺を歩く23~感じる道筋

 いくつかの道筋について整理してきたが、東西に走る道筋で台畑の台地に沿ってその北側を走る道筋が中途になっていた。こちらを先に整理する。
 この道筋は、何度も歩くうちに自然に感じてきた道筋だ。
 初めのころは、南矢野目と丸子の大字界を台畑の微高な台地の稜線を進む道筋がメインだった。この道筋をたどって、冨塚前遺跡や台畑遺跡とされる処へ進んできたのだが、後になって自然な道筋と感じてきたのが、台地の北側を進む道筋。台畑の微高な台地の東の田園風景を意識してからの道筋だが、この道筋に沿って歩いていると、冨塚前遺跡や台畑遺跡とされる遺跡の近隣の遺跡と紹介される分布とも重なるのだ。
 先に東高田遺跡とされる付近を整理したが、その高速道路と交わる付近は、その手前から自然な道筋になっている。これが、先に北矢野目の散策で整理した学校道の向原集会所から東に向かう道筋になっている。
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 その道筋を進むと、土師器・須恵器の散布地で、奈良平安時代の遺跡とされる「荻ノ目下遺跡」がプロットされることを付け加えておきたい。
 それが、ここら辺らしい。周りとのかかわりではやや微高の台地で、ここを中心にみれば北側低地が耕作地のイメージかな。
 ここら辺かなとするのに、ちょっと曖昧だったので、北側からも眺めてみたりして、この手前に北側の低地につながる道筋の痕跡を見つけてうれしいのだが、多分これは伝わらないな。
a0087378_6301648.jpg
 「荻ノ目下遺跡」とされるのは、先の写真からこのアパート辺りまでのようだ。
 これが、今回の散策で自然に感じてきた東西に走る二つの道筋。

 南北に走る道筋は、どれも明確な道筋ではなさそうで、決定打が無いので口をつぐむのが一般的な道筋かな。
 その一つは、勿論古代道。
 「季刊地理学」の「福島市(金谷川~東湯野)の古代道(鈴木貞夫)」も、伊達郡の駅路と伝路「古代東山道はどこか(鈴木啓)」も、信夫山の立石を目標にしている事には変わらない。ただ、その越え方が微妙に違うだけだ。「福島市(金谷川~東湯野)の古代道」は、その東の麓に沿って進むのに対して、「古代東山道はどこか」では、その立石東側の山の尾根のくぼんだ所(コル)を進もうとするらしいということだ。
 「古代東山道はどこか」の道筋の見え方では、もっと田園風景の中に入り込んだイメージということでもある。
 
 次が、信夫山とかかわる道筋かな。
 先に記した熊野道とされる道筋も、信夫山に行きつくイメージ。古代道とされる道筋のイメージからやや西に寄る。この道筋も、そのまま進めば立石に突き当たるイメージ。
 ここを避けずに一気に立石に登って、鞍部を下れば熊野山となるっていう感じが似合う道筋かな。
 信夫山の散策とかかわりあう道筋という意味では結構気になる道筋で、この道筋にかかわる資料がありそうだという情報は頂いたが、まだ確認していない。
 今回、「大地鎮神社(地鎮社)」にかかわって、信夫山の修験にかかわる道筋も感じた。信夫山の修験→三條院→大開→大覚院(位置的には、ほぼ=である大地鎮神社<地鎮社>)の感じかな。
by shingen1948 | 2013-05-03 06:36 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)