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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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台畑(南矢野目)周辺を歩く21~古代道のイメージ

 「台畑(南矢野目)周辺を歩く⑱」で、この田園風景の中に古代道にかかわるイメージについてふれた。その時に、専門的な方はこの田園風景の中に古代道にかかわるイメージは語らないとした。しかし、間接的に、あるいは決定的な語りではないがこの田園風景とかかわる風景の中にぼんやりと古代道をイメージする事にふれることはある。
 最近みつけた伊達郡の駅路と伝路「古代東山道はどこか(鈴木啓)」は、伊達郡の古代道について述べられたものだが、そのイメージを延長線すれば、この田園風景の中に古代道のイメージにつながるもの。
 そのイメージを確認すれば、信達盆地と白石盆地をつなぐ越河峠付近は、通過できるポイントは限られている。それで、ここを通る道筋は現在でも国道4号線、東北縦貫自動車道・JR東北本線が相接して通過する。  そこから、弁天山の丘陵が西へ張り出す梁川・国見町境、厚樫山の裾が東へ延びる付近を直線で通せる道筋の候補は限られる。その延長線を南に延ばせば、伊達橋の附近で阿武隈川の堤防をかすめて南進するという。そして、信達盆地内は、奥羽山脈から派生する丘陵と阿武隈川の制約で駅路と伝路は共通であった可能性があると仮定して、この台畑台地東に広がる田園地帯付近を次のように表現する。
 信夫山の裏山麓に沿ってトンネル入り口に達する。ここには、信夫山の鞍分があり、越えると信夫郡家北五老内遺跡である。
 この道筋は、その手前で、旧国道4号線と台畑の台地の東側に広がる田園風景の中であり、ここに古代道を想像しているということではある。
 ぼんやりとした道筋ではあるが、専門的な方はこの田園風景の中に古代道にかかわるイメージは語らないとした事を修正するとともに、旧道諸説の一つとして整理したい。

 なお、国見の古代道の道筋とされる情報の地点と、信夫の里に入る有力な古代道の道筋の候補と新幹線のトンネルの出入り口に重なる地点を実際に直線で結んでみたら、信夫山の東麓をかすめた東周りの道筋に近く、更に岡部付近から阿武隈川筋と重なってしまう。何の配慮も無くただ直線で突き抜けるとしながら、意識のどこかで「古代東山道はどこか(鈴木啓)」の道筋の修正をしていたらしいという事もあるようだった。これも修正する。

 「台畑(南矢野目)周辺を歩く⑰~大地鎮神社」の記事に以下を付加して修正する。
 <※ 2013/5/2付加>
 案内では、宝暦5年(1755)に大覚院を守護する地主神として創建したことになった経緯が記されるが、その大覚院は信夫山修験のイメージと重なるらしい。「歴史地図」の「東地区の歴史上の人物」の項で、「大地鎮神社(地鎮社)」の北に、「大覚院」がプロットされ、そこに以下のメモが記されるのを見つけた。
 阿部清光
 信夫山の修験
 三條院の後裔
 三條院や大開を開拓後、慶安2年(1649)に愛宕社の傍らに大覚院を創設
 「三條院」は、先に確認したが、「大開」は松川の手前の地域だが、ここと信夫山修験とのかかわりはまだ確認していない。
 
by shingen1948 | 2013-05-01 07:01 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)