地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28

台畑(南矢野目)周辺を歩く⑳

 台畑を意識してその周辺を歩くことを繰り返していくと、自然に感じるようになるのが、南矢野目と丸子の大字界の道筋を台畑に進む道筋と、その台畑の台地を北側から回り込む道筋だろうか。
a0087378_1213046.jpg
 この北側から台地を回り込む道筋は、高速道路から字高田東と字竹ノ内や字阿弥陀前の字界と重なる道筋だ。その字高田東は、縄文土器を中心にした散布地とされる。福島市の遺跡分布地図では、その集落附近とするが、マホロンの地図では高速道路沿いの位置をプロットする。
 いずれにしても、確かに微高地ではあるが、たいしてその違いを感じないのは開発が進んだせいなのかもしれない。

 この台畑附近の散策とかかわるその近辺の縄文時代の痕跡を確認すると、遺構として弥生時代と平安時代の水田や溝が検出されたとし、遺物としては、縄文土器、弥生土器、ロクロ不使用土師器、須恵器、打製石器、石器、陶磁器が発掘されたとすることを記す石名田遺跡にも、縄文土器した打製石器、石器等がみえる。福島市の遺跡分布地図では、同名だが、それとは別の石名田遺跡をプロットし、その東側に縄文土器・須恵器・石器の散布地で、主として縄文時代の遺跡とする情報がある。
a0087378_1224698.jpg
 また、小学校の校庭の西端付近からも縄文土器が出土しているらしい。ここは、丸子条理遺跡の範疇らしいのだが、小学校の校庭の西端は字「下六反田」に区分されることとかかわって、この地点を下六反田遺跡として調査された事があるらしい。その時の情報で、縄文土器出土した以外明かになったものは不明としているらしい。
 丸子条理遺跡・石名田遺跡とされる耕作地帯の東側と小学校附近も、地形的にはその特徴は感じられないのだが、情報的には漠然と縄文時代の遺物散布地をイメージする。

 更に、散策の中で、弥生時代に視点を当てた痕跡は少ないなという見え方とかかわれば、字石名田に、弥生式土器・打製石器が出土する水田の層や弥生時代の水田層の存在跡があるという観点とそこが奈良~平安の遺跡が重なっているという事からは、新たな時代の痕跡が重なる事によってその痕跡が消えたという経緯なのかなというイメージとなる。
by shingen1948 | 2013-04-30 12:03 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)