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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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台畑(南矢野目)周辺を歩く⑮~台地の東に豊かな田園風景をイメージする②

a0087378_9464731.jpg 遺跡分布地図には、丸子条理遺跡は小さな範囲が表示されるが、条理遺跡とかかわる地名とされる字「下六反田」は、学校の校庭と東側を含んだ旧国道4号線までの範囲であり、丸子条理遺跡が表示される字「上六反田」は、台畑(南矢野目)から5叉路を東に向かうとした道筋自体が、その範囲に含まれる。
 その中でここに写るあたりを「丸子条理遺跡」と表示されるのだが、これは平成元年(1989)に調査された附近らしい。
 「ふくしまの歴史」によると、ここでは平安時代の水田が確認されたが、条理制を示す土地の地割は確かめられなかったとのことだ。
a0087378_9472261.jpg 遺跡分布地図では、学校の西側を字石名田の地名をとって、丸子条理遺跡とは別に「石名田遺跡」と表示されるが、「ふくしまの歴史」の「北部条理遺跡」にはこの石名田遺跡を丸子条理遺跡の北の端として表示される。
 この調査報告書を見つけたが、そこでも出土した遺物と共に、丸子条理遺跡と連続した層序であることを前提にして考察されている。
 具体的には、平安時代の水田の層と別に、弥生式土器・打製石器が出土する水田の層があることで、弥生時代の水田層の存在を考察し、これとは別に弥生時代~平安時代の水田層の存在を考察しているように読み取れる。

 なお、「ふくしまの歴史」の「北部条理遺跡」では、小学校の東側の国道4号線までの間で、北は八反田川までの範囲を条理遺跡と仮定して表示されている。
 更に、丸子条理遺跡が表示される字「上六反田」の西側は、台畑の台地の東側の低地で弥生時代の水田・及び奈良平安時代の水田跡として整理した部分であるが、ここは字「四反田」とされる地域である。
by shingen1948 | 2013-04-23 09:49 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)