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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」~第15話 「薩長の密約」

 幕府方の長州への対応は、自らにだけは火の粉が被らないようにしたいという思惑で政局を乗り切ろうとする中、大きな歴史の流れは薩摩藩のもくろみによって動いて行くという状況だろうか。
 ドラマでは、会津藩の視点から描かれる。
 その視点から見ると、薩摩藩は、会津と組んでおきながら、胡散臭い土佐の脱藩浪士の画策に乗って長州と組むことになる。その影響で、第二次征長では、芸州・宇和島が出兵しないという動きになるように描かれる。実際には、この二藩の動きの背景には幕府に必ずしも与しない西国雄藩の存在があるということでもあるようだが。
 慶喜についても、将軍家茂が死去して将軍継嗣問題が浮上した時に、徳川宗家は継ぐが将軍にはならないなど、簡単に説明できない行動をとる難解な人物像として描かれる。
 ドラマでは、幕府歩兵の堕落ぶりなども細かく描くが、ここにやってきた新選組の斎藤一を目立たせる。斎藤は刀を抜き、酔っ払いの歩兵の1人の髻を斬って、「味方は斬らぬ」と去り、官兵衛が「あいつ、良い腕だ」と感心する。八重の親友の未来の夫への伏線かな。

 教科書的な正史の幕末は、薩長の主観で描かれる。それが、ドラマでは薩長の動向だけでなく、政権の中枢である幕府方も会津藩の視点で描かれる。西国にとっては誇り高き人物も、胡散臭い土佐の脱藩浪士。その影響もあるのか、視聴率も前回よりは回復も14.2%とか。

 ドラマの概要については、エキサイト「大河ドラマ 八重の桜」のページから、第15話 「薩長の密約」の粗筋をお借りする。
 http://tv.excite.co.jp/detail/nhk_taiga52/nextsynopsis.html 
「薩長の密約」
 慶応元年(1865年)、函館から密航を企てた新島七五三太(オダギリジョー)がボストン港に降り立った。そして京都ではそれまで対立していた薩長が、龍馬(柾賢志)の暗躍により急接近を図っていた。都での会津の立場が危うくなっていくのと合わせるように、覚馬(西島秀俊)の眼も悪化の一途を辿って行った。会津では、3年間一向に帰国の気配の無い覚馬に寂しさを抑えきれないうら(長谷川京子)が、一人娘のみね(豊嶋花)を厳しくしかるようになり、八重(綾瀬はるか)は不安を覚える。そんなある日、会津で大火事が起き、みねが行方不明になる。
 ドラマでは、新島襄が密航に成功してボストン港に降り立ったことにふれる。
 年表で確認すると、新島襄は、慶応元年(1865年)7月にボストン着後、ワイルド・ローヴァー号の船主・A.ハーディー夫妻の援助を受けて、フィリップス・アカデミーに入学するようだ。
 慶応2年(1866年)12月には、アンドーヴァー神学校付属教会で洗礼を受ける。
 慶応3年(1867年)には、フィリップス・アカデミーを卒業して、明治3年(1870年)にアマースト大学を卒業(理学士)する。
 その新島襄がフィリップス・アカデミーを卒業する慶応3年(1867年)に、先に「よそ見編」で整理した海老名李昌が、横山主税と共に、パリ万博主席全権大使徳川昭武(清水公)随行員として、フランス客船アルフェー号乗船、上海、香港、シンガポール、セイロン、カイロを経てフランスの港マルセイユに到着し、パリに向かっている。
 この時、ドラマではまだ覚馬と共に京都で政局にかかわっている山川大蔵は、田中茂手木と共にロシアとの国境交渉後、このパリ万博で海老名李昌と出会っているらしいことにふれた。
 よそ見好きにとっては、歴史通の方が、政局としての内戦を面白がっている中、政局と直接関わらない蝦夷警備や外交にかかわる仕事もこなされていたという地道さにも感心する。
by shingen1948 | 2013-04-20 05:53 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)