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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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台畑(南矢野目)周辺を歩く⑬~小森舘

 台畑周辺は、松川が形成した下位砂礫の段丘だといわれる。その台畑周辺の散策を通して、その高台の感覚を確認できた。ここに、台畑のこの高台には平安時代の住居跡とされる遺跡と平安時代の水田跡の遺構があること、そして、弥生時代の水田遺構も重なっているということもイメージする。更に、奈良時代初期には、この高台は住居跡ではなく、東斜面に窯跡と思われる遺構があるとも……。
 ここに、その高台の南縁に相当する冨塚前遺跡のイメージが重なる。ここには、時代的な空白を埋めるかのような水害にあったと思われる古墳時代の住居跡があり、鎌倉・室町時代の「屋敷の区画溝の遺構に青磁碗と白磁皿、それに茶色い瀬戸の陶器の大型壺と小型の千手観音の仏像の遺物が発掘され」があり、これが富塚舘と無縁とは思えないということらしかった。
 その富塚舘は、字冨塚とも字冨塚前もかかわるとかという曖昧さは残しながらも、台畑の高台南縁を意識させた。
a0087378_9424829.jpg
 この散策で、幾つかの見え方に変化があるのだが、その一つがこの台地から東側に下る耕地に適する地帯としての見え方なのだと思う。この東側の向こうに先に散策した本内舘・鎌田舘等があるのだが、この散策時点では、どちらかというと街道沿いの意識が強く線的なイメージだったように思う。これが、高低を含む面的な広がりの中に見えてきているように思う。
 そんな中で気になってくるのが、小森舘の確認が抜けている事かな。
a0087378_945838.jpg この舘に関しては僅かな情報しかなく、先にふれた「冨塚前遺跡報告書(2006年)」の第2節「歴史環境」に、「小森舘跡は、冨塚舘跡とも呼ばれていたが、現在は小森舘跡の名称で県の遺跡台帳に登録されている」とし、その現況を「現在は果樹園・住宅地と化し、土塁・濠は失われている」と紹介されること。
 その現況とされる「果樹園・住宅地と化し」とされる部分を、南側から確認すると、こんな感じかな。

 もう一つが、「歴史地図」に「小森重右衛門 鎌倉末期?」とあり、その北西に、「ゆうれい重右衛門的?場」がプロットされること。
by shingen1948 | 2013-04-17 09:47 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)