人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

台畑(南矢野目)周辺を歩く⑩~富塚舘

a0087378_9431861.jpg 富塚舘の位置情報は、冨塚前遺跡でいいのかなと思うのだが、いろいろな情報があるので、そう思おうとした時の不安になる情報を確認する。
 「冨塚前遺跡報告書(2006年)」の第2節「歴史環境」では、この舘に関して「小森舘跡は、冨塚舘跡とも呼ばれていたが、現在は小森舘跡の名称で県の遺跡台帳に登録されている」とし、その現況を「現在は果樹園・住宅地と化し、土塁・濠は失われている」と紹介される。そして、周辺地図には、小森舘跡と冨塚前遺跡の表示はされるが、冨塚舘跡の表示はない。
 ここから読み取れるのは、「小森舘跡」=「冨塚舘跡」と考えられていたことがあるということかな。

 「冨塚前遺跡報告書2(2009年)」の第2節「歴史環境」では、「冨塚舘は、現在住宅地と化し、土塁濠は失っている」ことが表記される。この周辺地図には、「小森舘跡」も表記されるが、冨塚前遺跡とは別に、字冨塚の位置に「冨塚舘跡」が表示されている。
 それとかかわるかどうかは知らないけれども気になるのが、冨塚前遺跡とされるのは、実際に発掘調査された位置は、冨塚前遺跡とされる西側の範囲を発掘されていて、元々の冨塚前遺跡とされる位置はその東側の台地の裾が堰の水路よりも低くなる位置まで含んでいる範囲を指していたらしい事かな。
 これらの遺跡にかかわるイメージには、少なくともこの程度の揺らぎがあるらしいことが分かる。単なる散歩を楽しむ者としては、情報を発信される方の元々お持ちのイメージを想像して、それに対応して聞き分ける必要がありそうだという事らしい。
by shingen1948 | 2013-04-14 09:44 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)