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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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台畑(南矢野目)周辺を歩く⑥

a0087378_1842113.jpg 「散策での感触」と「『台畑遺跡』遠景の写真」と「現況の地図」と「本調査の遺構配置図」とを見比べて、これらのおおよその重なりをイメージしてみて、平安時代の住居区域である台地と水田跡の境目附近を想像してみた。
 こんな感じかなと思うのだが、各報告を確認していないので曖昧な状態だが、散策を楽しむだけなので、概括的にイメージしたいだけだ。

 ここに、次の「ふくしまの歴史」の「台畑遺跡で発見された平安時代の水田跡の写真解説」情報と重ねてイメージしたいのだ。本文に「台畑遺跡(南矢野目)では水田の西の水路から墨書のある土器が数多く出土しています」とする部分だ。
 弥生時代から古墳時代にかけてのような小区画水田ではなく、1枚の田(1辺が約5~10m)は大きくなっている。水田の近くの溝からはまつりに使われたと思われる墨書土器が出土している。
 墨書のある土器が数多く出土した水路が水田の西という表現から、水田と居住地の道筋付近の水路らしきものを探せば、確かにそれらしきものは分かるが、それと関わるのかどうかは、今のところ分からない。
 ただ、水路らしきもの附近に水田と居住地の境の祭りの場を想定し、それに伴う墨書土器と勝手に想像させてもらってもいいのかなとも思う。

 古墳時代のムラとされる勝口前畑遺跡では、石製模造品と土器を並べた、祭りの場が水田と居住地の境で発見されたことに関わって、豊作を祈ってムラでまつりが行われていたのではとの推測が記されるが、ここでは「まつりに使われたと思われる墨書土器」という表現しかないわけで、勝手な類推のし過ぎかなとも思うが、どうなのだろうか?
by shingen1948 | 2013-04-09 18:11 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)