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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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台畑(南矢野目)周辺を歩く④

 散策で得た台畑(南矢野目)周辺の感覚と、手持ち情報を重ねて見る。
 情報の一つとして、「台畑遺跡3」の報告書をみつけた。中心となるのは、平成13年度の報告だが、ここに、それまでの本調査と試掘調査の遺構配置図が載っていた。
 直ぐに目がいくのが、掘立柱跡とそれを点線で結んだ地点。それを目安に、ここから台地のムラの痕跡の広がりを想像してイメージを広げることができる。
a0087378_6531313.jpg
 この道沿いに台畑遺跡を確認すれば、ビニールハウスのある辺りから、つまりは台畑八幡の鳥居前辺りからこの遺跡の範囲とされるらしい。ただ、報告書をみると、その本調査が行われたのは、ここから東側の台地らしいことが分かる。
 その西端の地点から台地を眺めればこんな感じだ。掘立柱跡の多くの痕跡は、この左手かな。

 更に、「ふくしまの歴史」から「台畑遺跡」のムラの住居の情報を重ねる。
 「台畑遺跡」では奈良時代の終わりに、住居として使われたと思われる掘立柱跡が発見されています。竪穴住居と掘立柱建物とがムラの中にありました。ムラの中では竪穴住居と掘立柱建物とが同じ時期にあった事になります。
 掘立柱建物の使用目的が不明としながらも、有力者の存在を匂わせる。
 そのダイジェスト版からは、この時代のムラのでき方とかかわりが、以下のように読み取る。
 ここでは、奈良時代に台地近くの低地や台地上の開発がおこなわれ、台地にムラがつくられ、それが平安時代まで連続的に発展したとするのだが、その平安時代の痕跡としては、水田跡とのかかわりの中でのムラの推定を含むようだということ。
 台畑遺跡の台地上の住居跡痕跡という視点で、その連続性にかかわって整理すると、奈良時代の初期にはその痕跡はなく、その後期から平安時代にかけての住居痕跡とみるのだろうか。
 この事は、福島の他のムラの痕跡の紹介と照らし合わせると、その時代の連続性に特徴があるらしいことが伺える。
 例えば、同じ平安時代のムラの痕跡地であっても、五十辺・鎧塚・勝口前畑遺跡などは、古墳時代のムラの痕跡後、奈良時代のムラの痕跡はないのだが、平安時代には、またムラの痕跡が登場するということになるらしい。
 これ等と比較すると、「奈良時代~平安時代」の連続した時代のムラの痕跡ということも、この台地のムラの特徴ということかな。
 もう一つ、時代の連続性という意味では、弥生時代の水田の痕跡は残すが、古墳時代、奈良時代初期のムラの痕跡はなく、その後、奈良時代~平安時代の連続した時代のムラの痕跡を残すということでもあるかな。

 なお、この台地の奈良時代の初期の痕跡として、須恵器を焼いた窯跡の発見も紹介されるが、位置的な情報は今のところない。
by shingen1948 | 2013-04-07 06:58 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)