人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

台畑(南矢野目)周辺を歩く③

a0087378_4492973.jpg 字富塚の雷神から大字丸子の冨塚と大字南矢野目の竹ノ内を分ける道筋をたどってくると、二手に分かれる道筋がある。
 そこを、その滑らかな道筋に沿って進むと、この名号の石塔が目に入る。その細道に入ってみると、そこが台畑八幡の裏手だった。その時に、台畑の高台にスムーズに入れたと実感。後で確認すると、二手に分かれた道筋も、その台畑八幡から抜ける道筋と重なっていた。
a0087378_45456.jpg
 この台畑八幡の鳥居から東側にみえる辺りから、奈良.平安時代とされる台畑遺跡が広がっているらしい。
 遺跡の紹介文を確認すると、8世紀中葉から10世紀の集落跡および弥生時代中期と平安時代の水田跡、9世紀代の居住の場と生産の場が調査されたとか。

 ここまでは、台畑の高台にスムーズに入れたことを視点に整理してきたが、その前の散策では、逆にこの辺りの高低差をイメージして散策している。そのイメージと今回の散策がつながって、ようやくこの辺りが実感できたということになるのだろうと思う。

 この台地に東側から進入すると、その高低差が実感できる。
 福島では最古の弥生時代の水田跡が発見された処というイメージにこだわると、高台を求めながらも、どこかで低地のイメージも求めているという複雑な感覚で歩いている。
a0087378_456243.jpg それで、堰沿いの道筋にこだわって歩いてみたりもしている。そこから、その堰の奥に足を踏み入れてみるという感覚で登ってみたのが、福島商業からの道筋だ。
 登って直ぐに「台畑」のアパート名を見つけ、地図で散策する前に「台畑」の地に入り込めたという感じがあったようにも思う。それで、その奥の道筋まで意識が進み、この道筋をたどって、今回の道筋の逆コースをたどって冨塚まで抜けている。
a0087378_4585966.jpg
 今回の散策と先の散策が結びついたなと実感したのは、東に進んでやや下り道になった付近に公園を見つけた時だ。先の散策では意識していなかったのだが、ここから各方面に道筋が走っている。

 「ふくしまの歴史」に「ムラが発見された台地の東には低地があり、平安時代の水田跡が発見されました。平安時代には子の低地で稲をつくった事は間違いありませんが、奈良時代の水田跡は発見されていません」という記載がある。
a0087378_521346.jpg この公園から高台をみれば、こんな感じだ。高台から降りてくれば、ここから東側の道筋が下りの道筋となるということと、「ふくしまの歴史」がいう「台地の東には低地があり」とあるその境界線が、この公園あたりなのではないかなというイメージだ。
 詳細は知らないが、少なくともこの公園が散策の目印にはなりそうだなと思う。
by shingen1948 | 2013-04-06 05:30 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)