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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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台畑(南矢野目)周辺を歩く②

 13号線から4号線に抜ける道筋は、基本的には「歴史地図」にある「昭和初年農民救済道路」なのかなと想像する。現在は改良が進んでほぼ直線の道路だが、自分の感覚では、旧道と思っている道筋がそれに当たるのかと思う。
 その道筋を地元の方の感覚を想像しながらたどれば、向原から冨塚までは、大字丸子と大字南矢野目の境界に沿った道筋になっていて、大字丸子の冨塚と大字南矢野目の台を真っ直ぐ道筋を通して、そこからまた大字の境界に沿って道筋が引かれているというイメージだろうか。a0087378_6425665.jpg ただ、自分も含め、ここを通る者にとっては、現在では改良された真っ直ぐに4号線に抜ける道筋という感覚だ。地元の方にとっては自然な感覚かも知れないのだが、この感覚で進む他所者にとっては、この雷神の石塔が何かを主張しているように見えて気になる。
a0087378_6433877.jpg それで、この石塔から風景を眺めれば、ここから北に大字丸子と大字南矢野目の境界に沿った道筋の延長線らしき道筋が見えてくる。
 この大字丸子の冨塚と大字南矢野目の竹ノ内を分ける道筋をたどってみると、これが高低差の少ない道筋で、そのまま台畑の高台に導かれる。

 地形にかかわる感覚は、開発された風景で見失っていたのだが、その感覚を少し取り戻したように感じる。
 その感覚で概括的にこの地形を見直してみると、台畑の高台は、西側から舌状にはみ出している大地であるらしいということだ。この大字丸子と大字南矢野目の境界に沿った道筋は、その高台の尾根に相当するところを走っていたと思われる。

 高台に平安時代の住居跡とされる遺跡があるという情報は、頭では既に納得しているのだが、そこを歩いて、その高台に自然に導かれたことで、平安時代の住居跡のある台畑ということが、感覚的にも納得できたように感じているということのようなのだ。
by shingen1948 | 2013-04-05 06:58 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)