地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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台畑(南矢野目)周辺を歩く

 この辺りは、何度も散策しているのだが、整理していない。その一つの理由が、手持ちの情報と自分の持ち合わせの感覚とのずれのようなものだ。違和感とまではいかないが、今まで散策してきた感覚との間のギャップのようなものだ。今回、素直にその感覚と情報のギャップを視点にしてもいいかなと思ったので、整理してみることにした。

 中心的な違和感は、土地の高さに関わるもののような気がする。
 ここは、松川が形成した下位砂礫の段丘だといわれ、少なくとも丸子よりも高台の位置にある。従って、平安時代の住居跡とされる遺跡のあるところという情報には素直に納得できる。ところが、ここは福島では最古の弥生時代の水田跡が発見された処とか、住居跡の東側には平安時代の水田跡も見つかっているという水田跡の情報があるのだ。その水田のイメージにここが似つかわしくないという違和感だ。a0087378_58989.jpg
 ここは、商業高校前の信号付近から高台を眺めているところだが、その高台の縁に沿って水路が顔を出す。多分、矢野目堰の支流にかかわるのだろうと思う。
 水路に着目するのは、その高さにかかわる高低それ自体の目印であるとともに、感覚的に高低差を見失った地点の等高線の目安になるとも思うからだ。
 地図でこの流れを確認すると、字富塚あたりから顔を出している。そして、その水路沿いに道筋が見える。福島の小字で確認すると、冨塚を過ぎて字台付近からは、これが大字丸子と大字南矢野目の境界になっているような気もする。ここを境に、大字南矢野目の字名が字台で、字台畑は更にその上になる。台畑は、近世の時代の水路よりも高い位置ということで、これが水田というイメージが結びつきにくかったのだ。

 なお、この辺りの高低差を見失いがちなのは、開発が進んだことで、主要な道筋が改善されたこともある。道筋の改善にとどまらず、クロスした道筋では、一方の道筋を跨ぐように改良されたりしていることもある。また、優先順位によって、一方の道筋を閉じてしまった処があるのも、連続的に風景を感じられなくなった要因の一つにある。
by shingen1948 | 2013-04-04 05:30 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)