地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28

大河ドラマ視聴「八重の桜」~第13話 「未来への決断」< 鉄砲と花嫁 >

 ドラマ第11話「守護職を討て!」で整理した海老名季昌氏が、パリ万博への徳川幕府使節団の一員として横山主税と共に渡欧し、約1年間にわたり留学生活を送るのが、慶応3年(1867)だ。帰国して鳥羽伏見の戦いに参戦するのが、同4年(1867)なので、ドラマが展開されている時期あたりだ。
 この時に、途中パリで山川大蔵、田中茂手木と出会っている。大蔵等は、幕府の樺太境界議定に参加してロシア入りした帰路とのことだった。
 長州は、直接的な戦いを通して見方を変えるようだが、山川も元々は攘夷論者で、この洋行によって西欧の情勢の見分によって見方を変えたともいわれているらしい。

 都では、薩摩の西郷が勝海舟に接近し、この2人の会談をきっかけに、歴史が新しい方向に動き出す。
 朝廷が長州征伐を決定し、尾張藩の徳川慶勝が征長総督、西郷隆盛が総参謀となるが、ドラマでは、その経緯にこの2人の会談を描き、西郷隆盛の心情的な変化をイメージさせる。
 隆盛は、総督の徳川慶勝から長州藩処分について一任を取り付け、長州藩と直談判する。禁門の変の指揮を執った福原越後、国司信濃、益田喜右衛門の三家老を処分し、五卿を筑前に移すことなどを要求して、長州藩がこの要求を飲む。
 その結果として、一戦も交えることなく長州征伐が収束する。これによって、会津は出鼻を挫かれ、これ以降、西郷隆盛が強敵となって、孤立への道を辿り始めることになることを暗示する。

 ドラマの概要については、エキサイト「大河ドラマ 八重の桜」のページから、第13話 「未来への決断」の粗筋をお借りする。
 http://tv.excite.co.jp/detail/nhk_taiga52/story_13.html
 ※ エキサイト「大河ドラマ 八重の桜」のページでは、第13話「鉄砲と花嫁」は、「未来への決断」として整理されている。
 「未来への決断」
 都から帰国した秋月(北村有起哉)は、八重(綾瀬はるか)と尚之助(長谷川博己)に覚馬(西島秀俊)からの伝言を語る。それは、一旦提案した縁談の勧めを取り消し、尚之助に他藩への移籍を促すものだった。尚之助は怒り、八重は激しく動揺する。そして、数日後、尚之助は意を固め八重に求婚、八重もそれを受け入れる。一方、都では、長州攻めが西郷隆盛(吉川晃司)の翻意によって中止となり、出鼻を挫かれた会津藩が孤立への道を辿り始めていた。
 第13話の視聴率は、14.3%だったとか。
 ドラマの今話では、秋月が都から帰国し、八重と尚之助に覚馬からの伝言を語る場面が描かれるが、幕末の城下地図でこの秋月邸を楽しんだ。会津若松市「八重と会津博」公式サイトの観光コースを眺めていたら、この「秋月悌次郎」宅についての情報を目にしたからだ。ここを丸山五八郎(秋月悌次郎)宅と紹介されるのを幕末の城下地図で確認する。
 確かに「百五十石 丸山五八郎 秋月胤永」が見える。若松第三中学校(自分のイメージでは第四中学校)の西を走る道筋を北側にたどって、衣料卸問屋のお店とその手前の民家辺りが、その秋月屋敷跡あたりに相当するようだ。川原町口のすぐ近くだ。
 場所確認で遊んでいたら、その中学校玄関前を発掘しているのを通りすがりに見かけた時のことを思い出した。その時に確か杭が見えた。堀跡らしいとは思ったが、その時には具体的にイメージ出来なかった。
 今回、地図と照らし合わせてみて、その郭内外を分ける土塁と堀跡との位置関係が、今になって納得できたという話。
by shingen1948 | 2013-04-03 05:23 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)